かつての花街「島原」の寺社をブラブラお詣り。
洛陽十二支妙見めぐりを始めるために、京都市下京区の「島原」と呼ばれる地区の寺社仏閣をお詣りしてまいりました。島原は、かつて花街として栄えた地区ですが、現在は民家や会社が立ち並び営業を続けている置屋さんは1件だけ、となってしまった場所です。
島原(しまばら)は京都市下京区に位置する花街の名称。「嶋原」とも書く。正式名は西新屋敷といい、6つの町(上之町、中之町、中堂寺町、太夫町、下之町、揚屋町)で構成されている。島原は1976年に京都花街組合連合会を脱会し、現在は輪違屋のみが正式なお茶屋の鑑札を有し、置屋兼お茶屋の営業を行っている。
今回私がお詣りしたのは、
・島原住吉神社
・法華寺
・慈雲寺
・住吉神社
の4社寺。このルートを普通に歩くと、google上では11分。私は島原大門も見たかったため、最短ルートを通りませんでした。それでも13分で歩ける、と表示される距離です。
島原西門前跡地からお詣りスタート
島原西門跡地の碑は、島原住吉神社に建っています。この島原西門は、交通事故で折れて壊れたと聞いたことがあります。市場の近くのため、交通量が多い時間帯があるのでしょう。

島原西門跡から石畳が敷かれた花屋町通を東に進むと、東鴻臚館(ひがしのこうろかん)阯碑があります。
当初は朱雀大路南端の羅城門の両脇に設けられていた。東寺・西寺の建立のため弘仁年間(810年 – 824年)に朱雀大路を跨いだ七条に東鴻臚館・西鴻臚館として移転。現在の京都府京都市下京区、JR丹波口駅の南東附近に位置した。天長10年(833年)の『令義解』にある鴻臚館は平安京の鴻臚館を指している。
平安京の鴻臚館はおもに渤海使を迎賓していた。
そのまま道沿いに進むと、角屋についての京都市の駒札。島原には花街当時を忍ばせるような建物は非常に少ないのですが、角屋は島原開設当初の様式を残していて、重要文化財に指定されています。
重要文化財に指定されている角屋ですが、平成30年6月11日に起こった大阪府北部地震により、屋根瓦がずれてしまったそうです。
島原の雰囲気を味わいたい人は、ここで寄り道を。
花屋町通に敷かれた石畳の中に、一際大きな建物が建っています。京都でこれだけ間口の大きな建物はなかなか見かけません。さすが、元花街、といったところでしょうか? こちらは築200年以上の元旅館、屋根の上の鍾馗さんも凛々しいきんせ旅館、カフェ+旅館です。
https://twitter.com/kinseryokan
きんせ旅館の前の道をそのまま東へ向かい、少し北上すると見えてくるのが、輪違屋。島原で営業を続ける唯一の置屋兼お茶屋です。「観覧謝絶」と書かれていて、一見さんお断り、常連さんから紹介されて初めて門を潜ることができるお店です。輪違屋も間口が広く、間口の広さで税金がかけられていたこともあった時代にいかにお金をかけていたのか?ということを想像することができます。
再びお詣りへ。
輪違屋の道沿い(北上)に、法華寺があります。

再び花屋町通に戻り東に進むと、島原大門です。
花屋町通に敷かれた石畳は、島原大門で終了です。この石畳の敷かれた花屋町通、歩行者用道路ではありません。車の往来があるので、ご注意ください。
そして、そこから慈雲寺→住吉神社へと進みました。島原大門から慈雲寺までも、すぐです。


周辺にはお詣りをしなかったお寺(拝観できるかどうか不明のため)や、絵入り御朱印が有名なお寺(要予約)もあります。島原で働いていた女性がお詣りをしていた、という壬生寺や、醒ヶ井の住吉神社へも歩いて向かうこともできます。
島原でお詣りした寺社は全て家族や保存会、檀家さんにより守られている寺社でした。御朱印がいただけるかどうかはタイミング次第となってしまいますが、それでも濃い空間だったなぁ、と思います。
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