・広く清々しい境内
・狛猿、真猿、御神猿
新日吉神宮 概要
名称 | 新日吉神宮 いまひえじんぐう |
創建 | 1160(永暦元)年 |
主祭神 | 後白河法皇、山王七柱、素戔嗚尊、大年神 | ||
境内社/摂社・末社 | 飛梅天満宮、樹下社、愛宕秋葉社、山口稲荷社 | ||
主なご利益 | 厄除開運、商売繁盛、縁結び、安産、子育て、五穀豊穣 | ||
所在地 | 京都市東山区法院前側町451-1 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 東山七条 → 5分 京阪電気鉄道 京阪本線 七条駅 → 13分 |
東山七条から新日吉神宮へ。
九条通から北山通までを南北に走る、東大路通。東大路通と七条通が交差する東山七条辺りは有名な寺社や京都国立博物館、京都女子大学がある上に外資系の高級ホテルもある、人通りも車も多い地区の一つです。
そんな東山七条の交差点の南西の角に看板を多く立てているのが、新日吉神宮です。看板を見ただけでも、御朱印が多数用意されている神社であることがわかります。東山七条の交差点は妙法院と智積院の壁に挟まれた上に綺麗な十字ではなく少しずれています、この交差点から新日吉神宮は見えませんが、気にせず進みます。
京都市の駒札も、なぜか新日吉神宮の入り口ではなく、東山七条通り沿いに立てられていました。
京都女子中学校・高等学校、京都女子大学へ向かう学生さんが多く歩くため「女坂」と呼ばれる坂道を阿弥陀ヶ峰に向かい歩いて行きます。坂ですが急勾配ではなく、ゆるやかな坂道を数分歩いて行きます。坂の初めには新日吉神宮のその奥にある豊国廟参道と書かれた石柱が、途中には鳥辺野の説明があります。この辺り一帯は、阿弥陀ヶ峰を中心とした京都の三大墓地の一つになります。
京都女子中学校・高等学校、京都女子大学の入り口を超えるとすぐ、とても大きな鳥居とその右手に普通サイズの鳥居があります。ここの小さな鳥居の方に新日吉神宮の幟が立っています。新日吉神宮は右手の鳥居の奥にあります。
正面の大きな鳥居の奥はというと、駐車場の様に車が並んでいました。鳥居を潜ってすぐの光景が車が止まっているだけ、というのは驚きの光景でもあるのですが、それにはしっかりと理由があります。
寛永17年(1640)現在地のやや北側、旧豊国神社の参道上に再建された。あたかも参道を塞ぐように再建されたため、「幕府が豊国廟への参拝を妨げるために再建した」との説が明治以降流布したが、この再建に幕府が積極的に関わった形跡はなく、伝承では再建したのは後水尾上皇、直接に関与したのは妙法院の尭然法親王(後水尾実弟)である。
(中略)
豊国廟参道から移動させられ現在の社地となったのは、豊国廟が再興された1897年(明治30年)の時である。
出典:wikipedia-新日吉神宮–
しっかりとした説明がされている訳ではありませんが、以前はこの鳥居の奥に新日吉神宮の本殿が置かれていたのでは?と思われます。
東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の麓の新日吉神宮
まず目につくのは社務所により設置された新日吉神宮の概要が書かれた札。少し色褪せ始めていますが、祀られている御祭神は把握できます。こちらに書かれている神様は全て本殿に祀られている御祭神です。そして新日吉神宮鳥居と阿吽の狛犬。いつもは狛犬さんたちをじっくり拝見するのですが、どうしても奥の朱塗りの楼門に目が行きます。新しそうな雰囲気の楼門には、しっかりと随身(ずいじん)が並んで座っています。
随身(ずいじん)[名](スル)《「ずいしん」とも》
1 平安時代以降、貴人の外出のとき、警衛と威儀を兼ねて勅宣によってつけられた近衛府の官人。御随身(みずいじん)。兵仗(ひょうじょう)。
2 神社の左右の神門に安置される守護神。1の姿にあらわす。出典:コトバンク-随身門–
直前までお店があったり自動車が止まっていたりしていますが、鳥居と随身が守る楼門をくぐり、新日吉神宮の境内へ入ると、直前までのゴチャゴチャ感が一掃されます。
ひよし、と書いて、ひえと読む理由。
今日吉神宮は日吉を「ひよし」ではなく「ひえ」と読みます。最初、「ひよし」と読んでいたのですが、今日吉神宮のホームページに理由が書かれていて、納得しました。
後白河上皇は院の御所をお定めになられましたときに
皇居の守護神として、比叡山の守護神/日吉社(現・日吉大社)
を勧請なされ、京都・東山の麓に「新しい日吉神社」を創祀
されました。(1160年)
創祀850年以上になりますが「新」が付いております。
新日吉神宮 境内の様子
楼門を潜る前から見えていた、拝殿。拝殿前には狛犬さんたちもいますが、緑に覆われてしまっています。筋肉隆々の狛犬さんたちを覆っているのは、多分桜の木。春には桜に覆われた狛犬さんたちを見ることができそうです。
拝殿の天井は折上げ格天井、格式の高さを伺わせていますが、他に掲げられている絵馬などは見当たらず、非常にシンプル、イメージ通りのこれぞ拝殿!という印象です。
※境内南・社務所側の阿担当の狛犬さん
※境内北・宝物庫側の吽担当の狛犬さん
拝殿には新日吉神宮で祀られている神様がわかりやすく説明されているので、お詣り前に軽く見ておくと、お願いしやすいかもしれません。
新日吉神宮 狛猿が守る、本殿へ。
拝殿奥の階段を登ると、金網で守られた阿吽の猿が出迎えてくれます。この狛猿さんたち、しっかりと阿吽のお顔、手には御幣や鈴を持った、神様の使いのお猿さんたちです。
狛猿:ご神猿:まさる
=真猿、魔去る、勝る=まさる と称されています。(…中略…)
ご神使と云われ、「厄除け」「開運招福」などに神徳が高く、
本殿向拝柱上部と本殿前にございます。
(…中略…)
日吉山王の御神猿は当・新日吉神宮以外にもあり、
近くでは「京都御所」「大津・日吉大社」にも
祀られています。
京都御所の真猿は有名ですが、東山区の瀧尾神社の屋根の上にも真猿らしき猿を見かけました。
狛猿さんたちを見た後は、向拝から本殿へお詣りです。本殿前はガラスがはめられていて、覗き込んでも向拝からは本殿蟇股の魔猿を見ることはできませんでした。中を伺うと、三間社流造の本殿とそれを囲う軒唐破風の向拝。建物の形式としては、御香宮神社の建物と似た造り。
こちらの新日吉神宮の本殿に祀られているのは、後白河法皇、山王七柱、素戔嗚尊、大年神。山王七柱と纏めてしまうとサラリとした印象を受けますが、大山咋命、賀茂玉依姫命、大己貴命、田心比売命、菊理比売命、大山咋命荒魂、賀茂玉依姫荒魂という有名な神様方です。同じ神様の荒御霊が七柱の中に含まれていますが、同じ神様の別の一面を一緒に祀ることで荒々しく顕著なご神威をいただけると信じられていたようなので、大山咋命、賀茂玉依姫命の力強いお力添えを頂くことができる、と言ってもいいのかもしれません。
本殿前には大黒天と魔猿が飾られていて、そちらにもお賽銭が置かれていました。
本殿周りをぐるりと一周-新日吉神宮境内社-
本殿の周りには境内社があります。本殿に向かって左手(北側)に飛梅天満宮、裏手に樹齢五百年を超える御神木のすだじい、本殿右手(南側)に豊国社(樹下(このした)社)、愛宕・秋葉社です。
この中で驚いたのが、豊国社。今でこそ近くの豊国神社も人気観光スポットになっていますが、徳川の時代には豊国神社や豊国社の祭神である、豊臣秀吉公を祀ることはできませんでした。新日吉神宮では、豊臣秀吉が初期に使っていた名前の木下藤吉郎の木下を樹下という名に込めて、徳川の時代も絶えることなく秀吉公を祀り続けてきたという、珍しいお社です。秀吉公を祀ることは禁じられていたとはいえ、あれだけの出世を遂げた人なので、隠れて崇拝する人も多かったのではないでしょうか?
再建新日吉神社には明暦元年(1640)に樹下(このした)社(現在は豊国社と改称)が勧請され、そこには妙法院で密かに保管されていた豊国神社のご神体も祀られた。これらのことから新日吉社の再建は、実は「豊国神社の復活」ではなかったかとの見方もある。このような説が生まれる背景には、秀吉の元姓が「木下」(樹下に通ずる)、また幼名が「日吉丸」(日吉社に通ずる)と符合する点がある。
出典:wikipedia-新日吉神宮–
こちらの豊国社の祭祀のこのもと祭は、湯立て神楽や焚き上げ神事は自由に見学できるので、タイミングが合えば伺いたい祭祀の一つ。
新日吉神宮から徒歩圏内に明治に再興された豊国神社、大坂の陣のキッカケとなった梵鐘で知られる方広寺があり、この辺りの豊臣家との縁の深さが伺えます。
そして隣の愛宕・秋葉社。両社とも火伏せの神様として有名ですが、京都では秋葉社はあまり見かけません。あまり見かけない上に一緒に祀られているのは本当に珍しいなぁ…と思いながらお詣り。
※飛梅天満宮
※すだじい (ブナ科/シイ属に属する常緑広葉樹)
※左:豊国社(樹下社)、右:愛宕・秋葉社
豊国社と愛宕・秋葉社の前の広い空間。少し色づいた紅葉の下にある、円で囲んだ所に、双眼鏡が2つ鎖で繋いで置かれていました。本殿に入らなくとも蟇股の魔猿を見られるように、という心遣いです。一生懸命覗きましたが、双眼鏡が少し汚れていた様で、魔猿をくっきり見ることはできませんでした。
楼門の手前の境内社
実は楼門の手前にも境内社があります。こちらは山口稲荷神社。詳しい説明はありませんでしたが、入り口横で堂々と鎮座されていました。
新日吉神宮の後ろには、秀吉公が眠る「阿弥陀ヶ峰 豊国廟」が待ち構えています。豊国廟は豊国神社の境外社。桜や紅葉の季節には多くの人が訪れます。季節ごとに変わる御朱印があるので、御朱印を集めている方にはオススメです。但し、秀吉公が眠っているのは山の上、スニーカーでなければ参拝は危険かもしれません。
新日吉神宮でいただける御朱印
新日吉神宮でいただける御朱印は境内社も合わせた5種類。それぞれを書いて頂く(書き置きもあります)方法と、見開き2ページに納まるサイズに5社分が書かれたものを「境内5社朱印」として頂く方法があります。通常1社分300円ですが、見開きに納まるサイズの境内5社朱印は5社分で1000円と少しお得になっています。
御朱印の詳しい内容は新日吉神宮の公式サイトに書かれていますが、5社をそれぞれ頂くと少し時間がかかるので、その辺りはご自身で配慮してください。
社務所前で御朱印を書いて頂いている間、のんびりと境内を眺めていました。砂利ではない境内は手入れも大変なことだろうと思いますが、京都の酷暑に負けない草木の綺麗な緑に包まれて、本当に穏やかな気分になりました。
さて。
新日吉神宮の「新」は「いま」と読むのですが、同じように「新」を「いま」と読む神社が、新日吉神宮から徒歩15分ほどの所にあります。「新」という文字に過去と比べた時にいまの方が新しい、という意味で、その後の神社の繁栄を願い「いま」と読ませたのかなぁ?と思います。
手作り感溢れる懐かしい雰囲気のホームページですが、祭祀の日時はしっかり更新されています。豊国社の祭祀のこのもと祭だけではなく、5月第2日曜に行われる新日吉祭も見学できるようなので、特にご縁をいただきたい方は祭祀への参加がオススメです。
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