萬勝寺 概要
名称 | 萬勝寺 (まんしょうじ) |
山号 | 飯高山(改号前:妙法山) |
通称 | 飯高観音 | 御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
開基 | 円仁(慈覚大師) | 宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
所在地 | 岐阜県恵那市山岡町馬場山田175 | ||
最寄りの公共交通機関 | 明知鉄道 花白温泉駅 | ||
拝観時間等 | 8:00~17:00 | 拝観料(通常) | 無料 |
2018年のお正月、お寺の初詣は飯高観音でした。
京都を留守にしていた2018年1月2日、「お寺好きなんでしょ?飯高さん行こう」と、親族に連れて行ってもらった萬勝寺。萬勝寺は地元の人たちから飯高(観音)さんと呼ばれているお寺です。
厄除の飯高観音として有名で初詣や縁日(毎月17日)には多くの参拝者が訪れている。
お正月ということで駐車場へたどり着く公道も既に渋滞している状態、片側一車線の道を20分程ノロノロと進みました。萬勝寺は山の中にあるお寺なので駐車場は広く、舗装された駐車場と道路を挟んだ未舗装の駐車場があり、警備員が出て誘導していました。「昔はもっと混雑していたし、道も悪かった」とは親族談。道が良くなり元旦でもない日にこれだけの人が訪れているということも含め、長い間多くの人に信仰され続けていることがわかります。
萬勝寺(飯高観音) 本堂までの行列
この日、山門の外まで多くの人が並んでいた萬勝寺。私たちも列に並びました。右手に道路と道路沿いに数件の茶屋と屋台、左手は遊具、連れて来られたであろう子供達が喜んで遊んでいました。「厄除けとか厄年の厄払いに来るんだよ」という言葉だけで訪れたため、列に並びながらGoogleで萬勝寺について調べていましたが、詳細を述べているサイトはほとんど見つかりませんでした。
平安時代の初期、円仁(慈覚大師)により創立され、本尊の十一面観音は慈覚大師の作と伝わる。元は天台宗で、飯高山 満昌寺と称し、七堂伽藍の他、山内寺院(不動院、孤月坊、大聖坊、般若坊、尊勝寺、内光寺、苦別堂、白山大権現、その他として田沢村に山中薬師という寺に4箇寺があり)合計12ケ寺があったといわれている。中世には385石の寺領を持ち栄華を誇った。
(中略)
1941年(昭和16年)、本堂はじめとする多くが失火により焼失。しかし本尊の十一面観音はじめとする各仏像に被害は無く、太平洋戦争後に檀信徒の尽力により本堂、観音堂、庫裏が建設され、1989年(平成元年)に山門と鐘楼が、1992年(平成4年)には本堂が、2001年(平成13年)には現在の新観音堂が落慶し、現在に至っている。
列に並び初めてから新観音堂までかかった時間は35分ほど。参拝の目安に写真を撮影した時間を記載しておきます。
萬勝寺(飯高観音) 山門の中へ。
山門の中には撮影し忘れた大きな手水舎やトイレ、茶室、絵馬・お守りの授与や祈祷受付などがありました。また、夫婦檜と書かれた札の立つ大きな檜や摩尼車なども。ですが、ほとんどの人が列を離れることなく、新観音堂へ向かっていました。
新しい観音堂。施された彫刻が立派で、遠くからでも目を引きます。
全体像を撮影し忘れた旧観音堂の現弘法堂。本堂でのお詣りを終えた人はそのまま新観音堂隣に立つ弘法堂へと進んでいました。弘法堂というだけあり、弘法様らしき像が祀られていました。
新観音堂前の横には釈迦三尊像が立ち、山門すぐには本堂が建っていたのですが、そちらに向かう人はほとんど見られず皆一心に観音堂を目指すという、なかなか不思議な光景でした(私も親族の向かうまま、本堂へは向かいませんでした…)。
萬勝寺(飯高観音)で頂いた御朱印
お札やお守りを求める多くの人に混じり、御朱印を頂いて来ました。常時なのかお正月限定なのかはわかりませんが、書き置きの御朱印でしたが日付は入れてもらえました。
連れられるまま出向くということがほとんどないのとあまりの人の流れで、本堂へお詣りをしないという貴重な体験となった、萬勝寺(飯高観音)へのお詣り。リーフレットや由緒略記を頂くことも、存在の有無を聞くことも忘れていましたが、どうやら頂くことが出来るようです。次の機会があったら、ぜひ頂いて来たいと思います…。
飯高観音のある山岡町は2018年春のNHK連続小説ドラマ「半分、青い」で東美濃市梟町の舞台となった場所、岩村町の隣。古き良き田舎です。
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