・1つの本殿、左右に別れた須賀神社と交通神社
・節分限定、懸想文(けそうぶみ)はあらゆる縁結びのお守り
須賀神社・交通神社 概要
名称 | 須賀神社 | 創建 | 康治元(1142)年 |
主祭神 | 素戔嗚尊 櫛稲田比売命 | ||
名称 | 交通神社 | 創建 | 昭和39(1964)年 |
主祭神 | 久那斗神 八衢比古神 八衢比売神 | ||
境内社/摂社・末社 | 白龍大明神 稲荷大明神 | ||
主なご利益 | 美人祈願 良縁祈願 交通守護 | ||
所在地 | 京都市左京区聖護院円頓美町1 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 熊野神社前下車 → 徒歩約6分 京阪電鉄 神宮丸太町駅 → 徒歩約14分 |
須賀神社 聖護院一帯の産土神様へお詣り。
聖護院の秋の特別拝観、積善院凖提堂への拝観の後、須賀神社へと向かいました。
須賀神社は積善院凖提堂の正面にあるので、すぐに見つけることができます。また、周辺道路にも多くの看板が出ているため、須賀神社の存在を知らなくても「この辺に須賀神社という神社があるらしい」ということはわかるかと思います。
さて、須賀神社。鳥居の右側には京都市の駒札、左手には須賀神社懸想文(すがじんじゃけそうふみ)という看板が建てられています。この看板に書かれている懸想文が頂けるのは、京都の中でも須賀神社だけではないでしょうか?
鳥居を潜って右側に手水鉢があります。
須賀神社・交通神社本殿へ参拝。
入り口の鳥居の扁額には須賀神社の文字だけだったのですが、本殿前の鳥居の扁額には須賀神社と交通神社の両社の名前が掲げられています。
平安時代末の康治元年(1142年)美福門院の建てた歓喜光院の鎮守として創祀されたもので、祭神は素戔嗚尊、櫛稲田比売命を主神に、久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を加え、五柱を祀る。
(中略)
1964年(昭和39年)に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を分祀し、この三柱を主祭神として日本で唯一の交通神社を創建する。
2005年(平成17年)には本殿と拝殿を焼失するが、すぐに復興する。その際、同一の本殿ながら内部の左側を須賀神社、右側を交通神社とする作りとした。
そう、須賀神社は須賀神社だけで表記されても正解、須賀神社・交通神社と表記されても正解だと言えるでしょう。合祀した、というのは時々見かけますが、元々一緒に祀られていた神様達を分けたというのも、なかなか面白いなぁ、と思います。建物は1つですが、参拝の目安となる鈴と鈴緒・賽銭箱は2箇所用意されていて、ちゃんと別の神社として並び祀られていることがわかります。本殿がある場所は一段高くなっています。本殿に向かって左手に授与所があり、御朱印やお札などはそちらでいただくことができます。
下の写真ではわかりにくいのですが、正面に見えているところではなく、その左右の扉が開けられていて、それぞれの鈴と鈴緒・賽銭箱がありました。
交通神社側には、境内社の白龍大明神 稲荷大明神社があります。地面近くには狛狐さんたちもしっかりと鎮座されています。
この神様方は商売繁盛・金運ん井恵まれお金もたまると言われ信仰されております
出典:須賀神社・交通神社 白龍大明神 稲荷大明神社前の立看板
須賀神社・交通神社で頂ける御朱印2種
須賀神社の授与所で須賀神社・交通神社それぞれの御朱印をいただくことができました。
もとの社地は平安神宮蒼竜楼の東北にある西天王塚辺りで、当社は岡崎の東天王社と相対して古くは西天王社と呼ばれた。
近くに「東天王」の御朱印がいただける神社があります。
懸想文を頂きに、須賀神社・交通神社の節分祭へ。
1年のうちの2日間だけ授与される、懸想文。私が訪れたのは、聖護院門跡の豆まきに合わせた、2月3日の午後。懸想文と同じように2日間だけ、鳥居の正面で販売されている須賀多餅は、既に完売していました。
再訪してまでも頂きたかった懸想文(けそうぶみ)。ところで、日常の生活の中で「懸想(けそう)」という言葉を使うことはありますか?私は生活の中では「懸想」という言葉は聞いたことも使ったこともありません。
懸想文(読み)ケソウブミ
デジタル大辞泉の解説
1 懸想の気持ちをつづった手紙。恋文。艶書(えんしょ)。
2 江戸時代、正月に、京都などで懸想文売りが売り歩いたお札。恋文に似せて縁起を祝う文が書いてある。これを買うと良縁が得られるとされた。大辞林 第三版の解説
けそうぶみ【懸想文】
① 恋慕の情を書きつづった手紙。恋文。艶書えんしよ。
② 近世、正月に京都の町などで売られたお札。艶書に似せて、縁起を祝う文句が書いてある。 [季] 新年。
元々は男女間の縁を結ぶ為に書かれた、代筆のラブレターのようなもの、と捉えるのが一番なのかしら?と思う、この懸想文。正月に京都の町で売られていた、とありますが、今は節分祭の須賀神社でしかいただくことができません。
以前は何もなかった境内の低い方(須賀神社・交通神社の扁額が掲げられた鳥居の前)にはテントが建てられ、懸想文をはじめとする授与品が並べられていました。
ということで、私は懸想文売りさんから懸想文を頂きました。須賀神社の懸想文、1000円。入り口の看板に書かれている通り烏帽子に水干(すいかん)姿と、平安時代の装束を纏った懸想文売りさん。私が訪れた時間帯は、この方お一人。お願いして写真を撮らせて頂きましたが、多分同じようにお願いする方が多いのでしょう、快くポーズを取ってくださいました。頂きついでにお話をお伺いしたところ、引き出しにそっと納めておくと、男女の縁だけではなく美人になったり着物が増えたり…と、あらゆる良縁結びに効果がある、とのこと。
懸想文売り(読み)ケソウブミウリ
デジタル大辞泉の解説
けそうぶみ‐うり〔ケサウぶみ‐〕【懸想文売り】
懸想文(けそうぶみ)2を売り歩いたこと。また、その人。赤い着物に赤い袴(はかま)で、立烏帽子(たてえぼし)をつけ、白い覆面をしていた。《季 新年》百科事典マイペディアの解説
懸想文売り【けそうぶみうり】
懸想文は思う人にやる文のこと。昔京都で正月初めに,頭を白布でおおい,文を結びつけた梅の小枝を手に持って売り歩き,未婚の女などがこれを買い良縁を占った。のちには畳紙(たとうがみ)に米2,3粒を包んで渡し,望むままに夫婦や商売の祝言(ほがいごと)をのべた。17世紀後半ごろまであった。
境内は多くの人が懸想文を手に参拝されていて、多くの人から信仰されている様子が伺えました。
須賀神社 節分祭限定御朱印
須賀神社の節分祭限定御朱印。女性が懸想文売りと話をしている絵が刷られた用紙に朱印が押されたもので、小さいサイズの御朱印帳に貼ることができるサイズ、1枚500円。インターネットで検索してみると、過去の須賀神社の節分祭限定御朱印はまた別のものだったようなので、毎年違うものが用意されているのかもしれません(詳細不明です)。袋に入れて頂いたのですが、残念ながら袋は雨で湿ってしまいました(御朱印だけは守りました!)。
頂いた懸想文はしっかりと引き出しに納めました。どんな良縁が結ばれるのでしょう?楽しみにしたいと思います。
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