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誠心院 初代住職は有名女流歌人の和泉式部

誠心院 概要

名称 誠心院(せいしんいん) 院号/山号 華嶽山東北寺(かがくざんとうぼくじ)
別名 和泉式部寺 御本尊 阿弥陀如来像
開基 藤原道長 宗派 真言宗泉涌寺派
所在地 京都市中京区新京極通六角下ル中筋町487
最寄りの公共交通機関 阪急電車京都線 河原町駅 → 約10分
京阪電車 三条/祇園四条駅 → 約10分
京都市営バス 河原町三条/四条河原町 → 約10分
拝観時間等 7:00~19:00 拝観料(通常) 無料

誠心院 新しい山門と鈴成り輪(すずなりぐるま)

京都市中京区にある誠心院(せいしんいん)。新京極通りに面した寺社をめぐる「新京極御朱印めぐり」の1寺でもある誠心院は新しく綺麗な山門とその前に置かれた鈴成り輪、京都市の駒札が目印となる見付けやすいお寺です。

誠心院 山門

誠心院 山門

山門前には鈴成り輪(ぐるま)と書かれた筒状の石が回せるようにして置かれています。魔尼車大好き!な私、早速回させて頂いたところ、とても綺麗な澄んだ鈴の音が鳴りました。

和泉式部の古い灯篭の竿と台座を使った、鈴なりの輪です。 魔尼車とも呼ばれ、一回廻せば経典を一回読誦した功徳が得られます。

出典:誠心院 公式サイト-誠心院について-

和泉式部の古い灯篭の竿と台座が使われていると思うと、和歌の才能のご利益を頂けそうな気がしてくるのは、私だけでしょうか?

誠心院 駒札と鈴成り輪(ぐるま)

誠心院 駒札と鈴成り輪(ぐるま)

山門の中の壁には誠心院に伝わる「和泉式部縁起絵巻」をパネルにして展示されています。絵巻の絵だけでなく説明もされていて、非常にわかりやすくなっています。このパネルと説明は公式サイトにも掲載されており、現地から戻った後も余韻を楽しんだり内容を確認することができます。パネルが掛けられている辺りの天井部分には多くの提灯が掲げられていて、厚い信仰を集めている様子を垣間見ることができます。

誠心院 山門の中 和泉式部縁起絵巻の展示パネル

誠心院 山門の中 和泉式部縁起絵巻の展示パネル

和泉式部と誠心院の関わりは…?

山門の中のパネルでも説明されていますが、誠心院は藤原道長が建立し初代住職が和泉式部という、百人一首や社会の教科書に登場する有名な方々が関わり始まったお寺です。

万寿4年(1027年)、上東門院彰子(藤原彰子)が父・藤原道長に勧め、法成寺の中の東北院の傍らに寺を建立させ、「東北院誠心院」としました。(現在の京都御所の東、荒神口辺り) 寺伝に依りますと、初代の住職は平安の歌人和泉式部で、その法名を誠心院専意法尼と申します。

出典:誠心院 公式サイト-誠心院について-

和泉式部といえば「和泉式部正集」「和泉式部続集」や百人一首の「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」が有名です。そんな和泉式部は、当時としては一風変わった女性だったようです。

恋愛遍歴が多く、道長から「浮かれ女」と評された。また同僚女房であった紫式部には「恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できない」と批評された(『紫式部日記』)。真情に溢れる作風は恋歌・哀傷歌・釈教歌にもっともよく表され、殊に恋歌に情熱的な秀歌が多い。才能は同時代の大歌人・藤原公任にも賞賛され、赤染衛門と並び称されている。

出典:wikipedia-和泉式部-

そんな和泉式部ですが、娘の小式部内侍が死去した後に女人往生を願い仏教に帰依しこの誠心院の初代僧侶になった、と言われています。

誠心院 本堂へ。

山門のパネルを拝見しながら山門をくぐり抜けると、そこは本堂の前。山門が本堂の真正面にならぬよう、半分ほどずらして建てられているのがわかります。本堂の蟇股には双龍とトラでしょうか…?凝った彫刻ですが、詳細はわかりません。なかなか重厚な外観の本堂だと思うのですが、手前に置かれた顔出しパネルが歓迎の雰囲気を醸し出しています。

私が伺った際は本堂は閉じられていて公開されておらず、特別公開などがあるのかも不明ですが、もしかしたらお寺の行事として行われる和泉式部大茶会や和泉式部忌などの際は公開されているかもしれません。

公式サイトには外観とは裏腹に輝く本堂内の様子が掲載されています。

誠心院 本堂 20190313

誠心院 本堂 20190313

誠心院 本堂 20190322(お彼岸の期間中)

誠心院 本堂 20190322(お彼岸の期間中)

誠心院 本堂の蟇股

誠心院 本堂の蟇股

誠心院 境内の様子

山門と本堂の距離が近いため、山門を潜るとすぐに本堂にお詣りをすることとなり参拝を終了してしまいそうになりますが、山門を潜ってすぐの右側に、水かけの行者・神変大菩薩様の石像があります。水かけ●●という像に出会う度、「寒い時は気の毒だなぁ…」と思うのですが、私たちの代わりに水垢離をしてくださるありがたい方々。遠慮なく掛けさせて頂きました。

幕末の大火で消失した神変大菩薩像(木造)を再興したものです。

出典:誠心院 公式サイト-誠心院について-

本堂向かって左手前には、和泉式部の歌碑と軒端の梅。

誠心院 軒端の梅と和泉式部の歌碑「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の声も待たるる」

誠心院 「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の声も待たるる」

山門から続く石畳の上を歌碑を通り越して進むと、正面(本堂の斜め後ろ辺り)に石塔が見えてきます。これが和泉式部が眠ると言われる宝篋印塔(ほうきょういんとう)。

この石塔は、和泉式部の往生の、六字名号を念仏する人があれば二十五菩薩と共にお迎えに来てくださるという謡曲「誓願寺」の舞台にもなっている宝篋印塔で、正和2年(1313年)に改修建立されました。

出典:誠心院公式サイト-和泉式部について-

宝篋印塔の前には何もないのでパッと見ただけでは何かわかりにくいのですが、手前に詳しい説明の看板が立てられているので、現地で詳しく知ることが出来ます。そして私が気になったのが、案内板の下に2体並んで彫られていた石像。お地蔵様と智拳印(ちけんいん)を結んだ大日如来様でしょうか?誠心院の中では小さな像でしたが非常に温かみを感じる石像でした。

誠心院 案内板の下の石像

誠心院 案内板の下の石像

誠心院 宝篋印塔と二十五菩薩

誠心院 宝篋印塔と二十五菩薩

誠心院の宝篋印塔の後ろの二十五菩薩様。さすが、来迎の菩薩様。みなさま優しい表情をされているのが印象的です。江戸時代のものだそうですが、台座は新しく、それぞれが何菩薩様なのか?ということがわかるようにお名前が彫られていました。光背には建立当時の建立した方のお名前が読めるものも。やっぱり来迎の際はこうでなくては!と思うような温かみのある表情です。

誠心院 二十五菩薩

誠心院 二十五菩薩

誠心院 二十五菩薩

誠心院 二十五菩薩

同じように来迎の菩薩様が祀られている、真言宗泉涌寺派のお寺があります。

【泉涌寺塔頭】即成院 様々な楽器を持った、等身大の仏様の楽団。
御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ)総門横にある、泉涌寺塔頭の即成院(そくじょういん)。阿弥陀如来様と25体の菩薩様がそれぞれ楽器を持って笑顔で佇み、極楽浄土へのお迎えの瞬間を表しています。本堂の奥には那須与一のお墓も。

誠心院で頂いた御朱印2種

誠心院の寺務所は、宝篋印塔の南側。つまり、本堂の裏になります。後ろに隠れている形になるのでわかりにくいかもしれませんが、裏手に回ればすぐに見つけることができます。今回頂いたのは、直書きと書き置きの2種。書き置きの御朱印は色も書かれた和歌も数種類用意されている中から選ばせて頂きました。

誠心院 御朱印2種(各300円)

誠心院 御朱印2種(各300円)

帰宅後に調べたところ、和泉式部の和歌の1首「契りしを 違ふべしやは いつくしき 疎忌真忌 きよまはるとも」かと。約束を破った相手に送った歌のようですが、まぁ私らしい和歌を選んできたものだ…と。

もしかしたらどんな和歌が書かれた御朱印を選ぶか?で性格占いができるかもしれません。

 

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