・芸術家との縁が深いお寺。
・周囲には妙顕寺 妙覚寺 妙蓮寺 報恩寺など、他にも大きなお寺がある。
本法寺 概要
名称 | 本法寺 | 山号 | 叡昌山 |
御本尊 | 十界大曼荼羅 | 脇侍/安置仏 | 不明 |
開山 | 日親 | 宗派 | 日蓮宗 |
札所 | 洛中法華二十一ヶ寺(鎌倉〜室町時代) 京都八本山めぐり |
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所在地 | 京都市上京区小川通寺ノ内上ル本法寺前町617 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営地下鉄 鞍馬口駅 → 徒歩約15分 京都市営バス 堀川寺ノ内停 → 徒歩約3分 |
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拝観時間等 | 10:00〜16:00 | 拝観料(通常) | 大人 宝物館+庭園 500円 |
数年ぶりに本法寺へ
京都市上京区にある本法寺。日蓮宗の八本山の一寺であり芸術家と縁があるお寺として知られています。実は訪れるのは2度目、7年ぶりの再訪です。
まず山門は楼門で仁王門。こういう場合、「山門」「楼門」「仁王門」のどの名称で呼べばいいのか?というところから悩んでしまいます。仁王様の前には「お達者ぞうり」と書かれた札とわらや布で作られたわらじが掛けられていました。
少し覗き込む感じで仁王様のお顔を拝顔することができましたが、写真は上手く撮ることができず…「やめておけ」ということだろう、と諦めました。どうもこちらの仁王様は新しい感じがしたのですが、詳細はわかりません。
『仁王門には「那羅延金剛(ならえんこんごう)像」が…』と何ヶ所かのサイトで見かけていたのですが、新しくなったのかも知れません。
仁王門を潜ると石畳が敷かれ、奥には多宝塔と本堂、すぐ左手に大摩利支尊天様が見えてきます。
亥が守る、大摩利支尊天様にお詣り。
「お堂」なのか「社」なのか迷う本法寺の大摩利支尊天様。鳥居の奥にいらっしゃるので「社」でいいのだろう…と思いながらのお詣りです。
石の囲いの前には略縁起。本法寺の大摩利支尊天様は「力(気力・体力・財力)」を守っていただけるとのこと。気力・体力はともかく、財力というのは人間的で現実的、ありがたい大摩利支尊天様。2019年の亥年の1月や節分、秋の大祭の折には特別御朱印が用意されていました。
摩利支尊天と言えば狛亥のイメージ。本法寺さんの大摩利支尊天社の前にもしっかり阿吽の狛亥さんたち。その姿からは長きに渡り参拝者を見守り続けて来た様子が伺えます。
大摩利支尊天社の東側には渡り廊下で繋がったお堂があり、北辰殿と書かれた扁額が掲げられています。北辰と書かれている以上妙見様はいらっしゃるだろうという察しはついていたのですが、七面大天女、辰妙見大菩薩、鬼子母尊神、大黒福寿天と書かれた札が掲げられており、意外と賑やかな印象。七面大天女はあまり聞いたことがないなぁ…と思っていましたが、どうやら日蓮さんの関係の女神様のようです。
七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。伝説によると、日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して、永仁5年(1297年)9月19日(旧暦)朝に七面大明神を勧請したと言われている。
出典:wikipedia-七面天女
本法寺境内で京都府有形文化財に囲まれる。
大摩利支尊天社の前の石畳に戻り鐘楼と経蔵、多宝塔を通り過ぎると、多宝塔と向かい合う形で本堂が建てられています。
本堂の手前には「光悦翁手植之松」と書かれた石柱と松、そして旅姿の長谷川等伯像。私でも聞いたことがあるような超有名芸術家2人が形と時代を超えて並んでいるかのようです。
本阿弥 光悦(ほんあみ こうえつ、永禄元年(1558年) – 寛永14年2月3日(1637年2月27日))は、江戸時代初期の書家、陶芸家、芸術家。書は寛永の三筆の一人と称され、その書流は光悦流の祖と仰がれる。
(…中略…)
陶芸、漆芸、出版、茶の湯などにも携わったマルチアーティストとしてその名を残す。
出典:wikipedia-本阿弥光悦–
本法寺は本阿弥家の菩提寺という繋がりがあり、本阿弥家は本法寺を支えていたそう。
長谷川 等伯(はせがわ とうはく、天文8年(1539年) – 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。幼名は又四郎、のち帯刀。初期は信春と号した。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。能登国・七尾の生まれ。
(…中略…)
元亀2年(1571年)等伯33歳の頃、養父母が相次いで亡くなり、それを機に妻と息子久蔵を連れて上洛、郷里の菩提寺・本延寺の本山本法寺を頼り、そこの塔頭教行院に寄宿した。
出典:wikipedia-長谷川等伯–
改めて本法寺の本堂。本堂前には大きな桜の木、春には御手植の松と対照的なピンクに染まることでしょう。本法寺の本堂は非公開のため、外からお詣りです。
本堂に向かって右側には開山堂と後ろに大きな宝物館の涅槃会館。宝物館へは庫裏で拝観料を支払って伺います。常設展示があるので、時期を選ぶことなく伺うことができます。本堂前の石畳上から見られる、本堂・開山堂・開山堂後ろの唐門・多宝塔・経蔵・鐘楼全てが京都府有形文化財。まさに文化財に囲まれている状態です。
開山堂の奥には叡昌松と塔頭の尊陽院の山門。可愛らしい御朱印の多いお寺として人気があります。
尊陽院は後から伺うとして、開山堂の横にある説灋石(説法石)。安倍晴明邸宅にあったことから晴明石とも呼ばれるとか。結構大きな石です。日蓮上人がこの石の上で説法をした…とのことですが、安倍晴明やら日蓮上人やら…この石の運命もなかなか波乱に満ちています。
説法石の横に唐門。この門の奥には十(つなし)の庭があり、拝観を申し込むと唐門を反対側から見ることができます。
本堂裏手の渡り廊下を潜り、庫裡へ。特別拝観や御首題は庫裡で対応して頂けます。見えるところに和太鼓。和太鼓があるのは日蓮宗のイメージ(個人的意見です)。
さて。いつも最初の頃に紹介する駒札ですが、なぜか本法寺ではあちこちに京都市の駒札が立てられていました。2ヶ所立っているというのは時々出会うのですが、本法寺では3ヶ所は確実に立てられていました。下の駒札は堀川通から入った所のもの。
京都市の駒札の隣には朝鮮通信使ゆかりの地という駒札も。
過去の写真。
今回、時間の関係で宝物館とお庭の拝観は次回へ持ち越しましたが、2013年に一度訪れた時に宝物館とお庭の拝観をしていました。宝物館では1階と2階の壁を使わなければ掛けられないほど大きな(10m)佛涅槃図の複製を1階、2階の両方から拝見した覚えがあります。巴の庭は本阿弥光悦作庭のお庭。江戸時代初期のお庭を維持されていると思うと、頭が下がる思いです。
円形の石と季節が来ると蓮が咲くという十角形の池で日蓮を表しているそう。2013年に訪れた時に詳細な説明をしていただいたのですが、その時のメモに「灯篭 上の部分だけ鎌倉時代」の走り書きがありました。
記憶が定かではないのですが、その上の部分だけ鎌倉時代の灯篭はこの灯篭かと…。
本法寺のお庭は国の名勝に指定されている見事なもの、お時間が許す方には拝観をお勧めします。
本法寺でいただいた御朱印。
本法寺でいただいた御首題。特別拝観の時期などには特別御朱印も行われている本法寺さんですが、この日はお正月というだけの普通の拝観の日、特別御朱印はありませんでしたが直書きで書いていただくことができました。いつも思うのですが、御題目を書くのって本当に難しそうですよね。
1463年(寛正3年)地蔵ヶ原にて、焼いた鍋を頭に被せる酷刑を受け、後に「鍋かぶり日親」と称されている。
出典:wikipedia-本法寺–
実は子年にちなんでねずみがお使いをしている大黒天様の特別展示(2019年12月17日(火)~2020年2月15日(土))が行われていた、本法寺。庭の拝観は苦手なのですが、また涅槃図公開の頃にでも伺いたいと思います。
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