・有名寺院に囲まれた、拝観しやすい立地。
西福寺 概要
名称 | 西福寺 (さいふくじ) |
山号/院号 | 桂光山敬信院 |
御本尊 | 阿弥陀如来坐像 | 脇侍/安置仏 | 不明 |
開基 | 蓮性和尚 | 宗派 | 浄土宗 |
札所 | ー | ||
所在地 | 京都市東山区大和大路東入ル西轆轤(ろくろ)町81 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 清水道 → 約5分 京阪電車 清水五条駅 → 約9分 |
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拝観時間等 | 不明 | 拝観料(通常) | 無料 |
鳥辺野の入り口、六堂の辻に建つ西福寺。
京都市東山区。四条と五条の間に掛かる唯一の橋がある、東行き一方通行の松原通。この松原通沿いに建つ西福寺。周辺には大きな寺院も多いために何度か訪れている西福寺ですが、松原通の車の通りが多いためか周囲の大きな寺院に人が集まるためか、比較的静かな印象があります。
西福寺の山門。山門横も門戸が開かれているため、どちらからでも出入り出来ます。右側の建物が、東向きに建てられている本堂です。
門壁の上には「弘法大師 御作」の看板。これだけでも西福寺の歴史の長さが伺えますが、詳細はわからず。
西福寺は嵯峨天皇(在位809-823)の御代、弘法大師が地蔵堂を建立し、自作の土づくりの地蔵尊を安置したのが開基といわれる。
西福寺(東山区) 境内の様子。
山門の正面に末廣不動尊、左手に水子地蔵尊が祀られています。末廣不動尊はしっかりと脇侍の方々を連れていらっしゃいます。末廣不動尊の前には「お不動様の水です。手を洗わないでください」と書かれているので、こちらは水掛け不動さんだと思われます。
右手の水子地蔵尊。この中の一体が弘法大師御作だと言われているそうですが、私にはよくわからず…。
嵯峨天皇の皇后がしばしばご参詣され、皇子の正良親王病気の際、この地蔵尊に祈願したところ、無事平癒し、後に仁明天皇(在位833-850)として即位された。以来、地蔵尊は「子育て地蔵」と呼ばれ、世の多くの人々に信仰されるようになった。
水子地蔵尊には小さなコップがいっぱい備えられており、お詣りに来られた方の思いが伝わって来ます。ということで、水子地蔵尊の写真は控えました。
水子地蔵尊の正面には本堂があり、山門側には檀林皇后と弘法大師(六はら地蔵尊由来記)、という説明が。短い文章ですが周辺の話から西福寺の歴史の話までしっかりと書かれています。この3つの額は全て昭和の時代に奉納されたもの。西福寺が近代でも深い信仰を集めていることがよくわかります。
本堂の上に掲げられた扁額。本堂は常に少し開けられており、見事な花天井を見ることが出来ます。少しだけ写っているのは、大きな提灯。本堂前が非常に狭いので提灯を綺麗に撮影するのは難しいのでは…?と思います。
さて。西福寺には少し怖い寺宝があるのですが、それは檀林皇后九想図と呼ばれる絵。この絵は檀林皇后が自らの死後の遺体の変化を9段階描かせたものと伝わっています。檀林皇后九想図などはお精霊迎えの期間だけ公開され、他の絵と共に絵解きが行われています。
その一帯で、盂蘭盆に先立って六道詣りが行われている。その時期にあわせ、寺が所有する熊野観心十戒図を用いた住職による地獄絵絵解き(熊野観心十界図 地獄絵絵解き)が行われていたものの、住職遷化後は一旦行われなくなった。2006年以降、2006年、関本徹生(京都造形芸術大学教授)の依頼により、西山克(関西学院大学教授)の協力の下、絵解きが復活した。以後、京都造形芸術大学 学生プロジェクトが絵解きを主催している。
出典:wikipedia-西福寺–
夏の盂蘭盆、この辺り(鳥辺野)一体はご先祖様をお迎えする「お精霊迎え」のために多くの人が訪れます。
残念ながら8月に行われる「お精霊迎え」自体、京都出身でもなく家にお仏壇もない私は未体験で檀林皇后九想図もまだ未拝見。少し怖いような、実際に見てみたいような…複雑な気持ちです。
西福寺でいただいた御朱印。
西福寺でいただいた御朱印。伺うたびに本堂からお声かけをしていたのですが、なかなかタイミングが合わず。何度目の参拝かわかりませんが、ようやくいただくことが出来ました。西福寺でいただける御朱印は、基本的に書置きの1種類のみ。日付は入れてくださいました。
※御朱印は変更される可能性があります。
西福寺の前には、有名な「幽霊子育飴」のお店があります。優しい麦芽糖の甘さの子育飴。鳥辺野の六堂の辻に子育地蔵と子育飴という組み合わせも、輪廻を思わせる、興味深いものがあります。
そして角を曲がると、口から仏像が飛び出している空也上人立像を有する六波羅蜜寺です。
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