・見落としがちな境内社の蟇股。
・開山と言われる多治比文子は菅原道眞公の乳母。
満願寺 概要
名称 | 満願寺(まんがんじ) | 山号 | 示現山 |
御本尊 | 釈迦如来 | 脇侍/安置仏 | 不明 |
開山 | 多治比文子 | 宗派 | 日蓮宗 |
札所 | 洛陽十二支妙見巡り 辰 | ||
所在地 | 京都市左京区岡崎法勝寺町130 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 岡崎道/動物園前 → 徒歩約5分 | ||
拝観時間等 | 不明 | 拝観料(通常) | ー |
満願寺 山門横には大きな桜。
京都市左京区。平安神宮や京都国立近代美術館、京都市動物園、岡崎公園などがあり京都市民も時々訪れることがある岡崎。岡崎通りから少し東に入った、どちらかというと裏通り的な民家が集まるその中で突然現れるのが、満願寺です。満願寺は洛陽十二支妙見巡りの「辰」のお寺。
初回の2月は霊鑑寺へ伺った際、「岡崎神社の前を通って歩いて行ける距離のはず…」と、徒歩で向かいました。


まずはいつも通りにの正面から。立派な山門。五本筋の筋塀から格の高いお寺として扱われて来たことがわかります。
山門の扁額には山号が掲げられていました。結構大きめの扁額です。
桜が咲き始めが早かった2020年3月中旬、山門横の大きな桜の木が少しずつ咲き始めていました。2月に伺った時、絶対に3月にも伺おう!と思った理由の1つが、満願寺の桜です。この題目碑も、桜が満開になったらその姿を隠してしまうのではないでしょうか?
満願寺 境内の様子。
満願寺の境内。庫裏の方に目を向けると見事なシダレ桜があることがわかります。2月に伺ったばかりなのに3月に再訪した理由は、このシダレ桜が見たかったから。若干時期を読み違えましたがそれでも綺麗に咲き始めていて、満開になったらどれほど見事だろう…と、更に想像が膨らむ姿をしています。大きさ、枝ぶり共に本当に見事で、どうしてここが人気観光地の1つにならないのか不思議な程です。
山門を潜ってすぐの左手(北側)に、境内には不釣り合いなビニールシートが掛けられた場所がありました。
手前に建てられた京都市の説明によると、潰れてしまったのは文子天満宮の拝殿。なぜ満願寺と文子天満宮には創建にまつわる深い理由がありました。
天慶3年(940年)、菅原道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)が道真を追悼するため西ノ京に建立した堂宇が起源とされる。道真自作の天満自在天像を安置し、当初は真言宗だった。
出典:wikipedia-満願寺(京都市左京区)–
京都市指定有形文化財に指定されていたのですが、2018年に京都を襲い多くの寺社が被害を受けた、台風21号の被害を受けてしまったようです。屋根が見えている所から想像するに、倒れた時から手付かずの状態で置かれているのかもしれません。拝殿が倒れたとは言え社殿は無事のようですが、お詣りさせていただいて良いのかどうか悩む状態でした。
ということで、境内社の文子天満宮への参拝は断念。
文子天満宮横の小さな鳥居の奥に、見つけた時に思わず声を出した蟇股があります。扁額や鳥居、説明などがないので確実なことはわかりませんが、妙見様が祀られているのでは…?と思われます。
満願寺妙見菩薩像は、もともと法勝寺旧跡にあった本光寺に祀られていたが、安永3年(1774)大火により本光寺は類焼、そのため満願寺に移された尊像であるという。 またこの像は約1尺の小像で、亀に乗り、右手に剣、左手に蛇を持つという。
大きさはそんなに大きくはないのですが、立体で本物のようなうねり具合。失礼かな…?と思いながら、横からも。後ろまでしっかりと蛇です。
そして、足元にも蛇。こちらは石像です。
満願寺 立派な本堂へお詣り。
満願寺の本堂へ。最初の参拝の際、満願寺の北側を走る冷泉通からぐるりと回り込んで山門へとたどり着くルートで到着したのですが、本堂の後ろ姿が見えた瞬間から大きさに驚いた本堂。土蔵造の奥陣も有するという本堂は住宅街に隠された古刹…とでも言えば伝わるのでしょうか?近くには岡崎公園や平安神宮、少し足を運べば金戒光明寺などの観光地の中にあるにも関わらず、ひっそりと、それでも荘厳な本堂の雰囲気に少し圧倒されそうになります。本堂に上がらせていただいて良いのかどうかわからず…そういう時は外からお詣りです。
本堂前には「妙経萬部塔」。
本寺は日蓮上人が吉田神道伝授の時に寄宿した場所と伝えられ、一万部の法華経読誦を記念する石塔である。
2月に訪れた時は西日の強い夕方だったのですが、3月は快晴。2度目でも本当に大きくて立派で見惚れる本堂。本堂の横には様々な石碑。新しいものには溝口健二之碑などもあり、今に続く長い信仰が伺えます。
満願寺 閼伽井と閼伽井天とシダレ桜と。
庫裏と書院へと向かう石畳が二手に別れた所には、俊寛僧都故居の碑。
俊寛僧都:後白河上皇の側近で岡崎法勝寺の執行であった。
安元3年(1177)、藤原成親・西光らとともに平氏打倒を画策し、鹿ケ谷の山荘で密議を行うも、密告により陰謀は露見し、西光は斬罪、成親は備前に配流、俊寛は藤原成経(成親子息)・平康頼とともに、鬼界ヶ島(薩摩か)に配流され、そこで逝去(異説もある)するという。
満願寺は法勝寺の北限附近に建つと推定され、この付近に俊寛の邸があったといわれる。また満願寺に残る閼伽井は法勝寺のそれと伝えられる。
石畳を挟んだ所には梵鐘。梵鐘の前にはシダレ桜。このシダレ桜は近づいて見ても見事な枝ぶりです。開花時期を読み違えたのは悔やまれますが、咲く前だからこそわかる枝ぶり。
このシダレ桜の根元には、閼伽井と閼伽井天が祀られています。閼伽井に遭遇したのは久々だなぁ…と。この閼伽井、現在は飲料不可だそうですが、残っているだけでも奇跡に近い気がします。
満願寺 洛陽十二支妙見巡り「辰」の御朱印。
満願寺の庫裏には洛陽十二支妙見巡りの御朱印対応時間の張り紙がされており、私が伺った時は16時までと記載されていました。そのため2月には頂くことが出来ず。3月の参拝の際にいただいてまいりました。伺った庫裏の玄関も立派…ため息が出そうな建物。御首題をいただいた方もいらっしゃるようなのですが、恐れ多くて口にも出せず。さらに、蛇の蟇股の話も伺うことが出来ないというヘタレっぷりを発揮して、今回の参拝は終了です。
洛陽十二支妙見巡り、交通手段が限られている上に朝が弱い私にはなかなかハードな巡礼で苦戦中なのですが、こういう素敵な出会いがあるから頑張ろう、と思えるのでした。
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