・京都市民でも知らない人が多い、峰定寺
・山の上で待ち構えるのは、舞台懸崖造りの本堂(重要文化財)
峰定寺 概要
名称 | 峰定寺(ぶじょうじ) | 山号 | 大悲山 |
御本尊 | 千手観音 | 脇侍/安置仏 | 不動明王二童子立像毘沙門天立像 (但し収蔵庫に安置) |
開基 | 観空西念 | 宗派 | 本山修験宗 |
住所 | 京都府京都市左京区花背原地町772 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都バス 大悲山口→ 徒歩約30分 自家用車 駐車場あり |
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拝観時間等 | 入山受付 9:00~15:30 |
入山料 | 500円 |
隠れた古刹 峰定寺
京都市左京区花背(はなせ)に位置する、大悲山 峰定寺(だいひざん ぶじょうじ)。京都市の市立小学校五年生は学校から「花背山の家」という京都市野外教育施設で「長期宿泊・自然体験活動」が実施されるため、花背という地名はよく聞く+場所もなんとなく知っています。ですが、花背に峰定寺というお寺があるということを知っている人は、多くはありません。
お寺も神社も多く集中している京都市。立派な歴史や文化財がある寺社でも、立地条件や交通の便の良さがなければ知られることがない、ということかもしれません。
峰定寺は遠い。距離も遠いし交通手段も少ない。
峰定寺は京都市内にありますが、市街地からは遠く、公共交通機関を利用して参拝する場合、京都バスというバスで向かうことになります。
その頼みの綱の京都バス。峰定寺を経由するバスは1日3〜4本と本数が少ないので、バスを待つことになります。現地滞在時間も長くなります。周辺地域を調べたり飲食物を確保したりと、しっかりと計画を練ってから出向いてください。
憶測ですが、ほとんどの人が公共交通機関を使わず、自家用車やバイク、ツアーなどを利用して参拝しているのでは?と思います。
ということで今回は私も自動車移動(助手席専門)で向かいました。今回私が通ったルート(google先生のおすすめルート)は下の地図の通り。
鴨川沿いを北上し叡山電鉄と並走後、貴船神社の一の鳥居、鞍馬寺山門前、くらま温泉を通過し峠を超えるという道程で、大小様々な寺社の近くを通過します。
ルート上にあるならば!と、今回は夏の貴船神社参拝の際、くぐらなかった貴船神社一の鳥居と一の鳥居の横の梶取社に寄り道しました。
貴船神社 一の鳥居へ寄り道。
貴船神社の一の鳥居は、叡山電鉄 貴船口駅より南にあります。そのため、貴船神社から貴船口駅に向かうと、一度駅を通過する形になります。距離としては貴船口駅からそんなに遠くないのですが、前回の参拝の際は疲れていたため、立ち寄りませんでした。その貴船神社の一の鳥居の手前にあるのが、梶取社。宇賀魂命様が祀られています。昔は梶取大神が祀られていたそうです。
梶取大神は、玉依姫の乗った船の舵を取っていた、と言われる神様。貴船は山奥ですが、神様がこの地まで船で来た、と言われているだけあって、船に纏わる話が多いです。
※貴船神社一の鳥居 奥に見える欄干は、梶取橋。
※濡れ紅葉を纏った梶取社
貴船神社の一の鳥居の道路の反対側斜め北辺りの山の途中に、鬼一法眼の古跡碑がある、石寄大明神が見えていましたが、今回はお詣りしませんでした。鬼一法眼社は鞍馬山の山門からすぐのところにあります。
この一の鳥居の手前はバス停です。また、貴船方面からも鞍馬方面からも京都市内からも自動車が走ってくる三叉路なので、石寄大明神への参拝希望の方は十分気をつけてください。
峰定寺が目的の今回。人で賑わう鞍馬山の山門下の階段前を通り過ぎ、くらま温泉を横目で見ながら、峠超えです。峠には融雪剤などが置かれていて、冬の道路状態を簡単に想像することが出来ました。また、枝打ちをされているところや放置されているところなど、峠の途中でも様々な状態の木を見ながらの峠超えとなりました。
峠を超え所々に点在する集落や庭先にある昔ながらの小さな柿をいくつも眺めながら走るうちに、峰定寺の看板を見かけ始めます。いよいよ、峰定寺です。
峰定寺 敷地の中へ。
府道38号線から峰定寺へと向かう道に入りしばらく進むと、峰定寺駐車場という看板が出ています。その先には車止めがあるので、看板が出ている駐車場に車を停め、歩いて峰定寺の寺務所に向かいます。寺務所までは5分もかかりません。
砂利が敷かれた道を進みます。この日は雨上がり。もしかしたら入山出来ないかもしれないという天気だったため、周囲には他に人はなく、貸切の参道を歩きました。砂利道を歩く音がザクザク聞こえる他は、何も聞こえてきませんでした。
天気や季節によっては、鳥の声や虫の音が聞こえることでしょう。
山と川に挟まれた砂利道の両端は苔むしていて、とても綺麗でした。
季節特集の紅葉ガイドで紅葉の色づきを段階的に説明してくれる京都府観光連盟のサイトによると、峰定寺の紅葉の盛りは毎年11月上旬頃。
峰定寺では11月3日前後には収蔵庫の公開が行われ、紅葉と多くの重要文化財を楽しむことが出来ます。伺ったのは2017年11月23日。今年は日本全国冬の到来が早いため、峰定寺でも紅葉が例年より早く、また前夜の雨も重なって道端の苔はより一層青々とし、落ち葉はすっかり変色してしまっていました。
往路から峰定寺まで、至る所で薪が積まれていました。薪を積んでいる家全てに薪ストーブがある訳ではなく、山と密着している生活では、間伐材や折れた木の処理として薪にして保存しておくということがあります。
山育ちの私には、懐かしい風景。都会育ちの人には新鮮な光景でしょうか?
峰定寺の門です。門には時間がしっかり書かれています。関係者以外、この先に車をのり入れることがないよう、道路の真ん中に車止と書かれています。12月〜3月末まではこの門が閉じられるそう。
門を入るとすぐ、この地区の説明が書かれていました。花背大悲山一帯は、昭和60年に京都府歴史的自然環境保全地域にしていされています。保全地域内では、一部の植物の採取が禁止されていますので、ご注意ください。(採取が禁止されている植物は、峰定寺でいただけるパンフレットでご確認ください。)
峰定寺 寺務所へ。
峰定寺の山中へは、寺務所に立ち寄ってからしか入ることが出来ません。峰定寺の仁王門、仁王門前の高野槙、所蔵庫前を通り過ぎ、一番奥の建物の寺務所に向かいます。仁王門前の高野槙は主幹が途中で折れていますが、この迫力。仁王門に負けない存在感です。
峰定寺 寺務所にて受付
この日は今にも雨が降り出しそうな雲が出たり薄日が差したりと、コロコロ変わるお天気。砂利道もまだ乾ききっていない状態でした。雨天の日は入山禁止の峰定寺。寺務所の方の判断はどうだろう?と、ドキドキしながら寺務所に伺いました。
「峰定寺は初めて?」「どちらから来られたの?」と、優しい会話が続きました。私が2度目であること、運転を引き受けてくれた友人が遠方から来たことを伝えたところ、
「少し降るかもしれないけれど、あなたが2度目ならわかっているでしょうし、大丈夫でしょう。」
と、入山許可をいただくことが出来ました。
入山料の500円を支払い、寺務所の方から峰定寺が初めての友人に向けて、入山する際の心構えのお話をいただきました。
ざっと箇条書きにしてしまうとちょっと厳しそうに思えますが、荷物を預けたりしている間にサラサラと柔らかくご説明いただきました。前回参拝した時は「何かあったかな?と思うから行き15分、上で10分、帰りに15分の45分位で戻ってきてください」という話もあったように思いますが、今回は私が2度目ということで省略されていました。
「傘持ってる?念のため、そこにある傘持って行く?」というありがたい申し出をいただきましたが、杖を突くため傘はお借りせず、いよいよ入山のため再び仁王門前へ。
寺務所で説明を聞いた蛙股は仁王門の蛙股でしょうか? 仁王門を見上げて確認をしたり、仁王様がいない(重要文化財のため収蔵庫内にいらっしゃいます)仁王門を少し寂しく思ったり。
仁王門を一通り見た後、いよいよ入山です。
よく見かける京都市の駒札はありませんでしたが、入り口だけではなく、山中の要所要所で京都府による説明がありました。
峰定寺 入山から下山まで
峰定寺の仁王門より奥は撮影不可のため、写真はありません。
山中、基本的に石と土で作られた階段を通ります。人がよく歩くであろう階段の真ん中は歩きやすいのですが、両端は苔むしていて、滑りやすそうな状態でした。川が近く、苔、シダ、背の高い木という自然環境では、地面まで日が当たる時間が少ないのでしょう。また、階段とは言え自然を利用して作られているため、微妙な傾斜や幅の違いがあります。しっかり杖を突いて一歩一歩進みます。
京都府の説明も用意されているので、読むために立ち止まり、呼吸を整えました。
途中、階段のない岩肌を歩く場所もあります。岩に出来ている不規則な段を歩くことになりますが、岩肌には鎖が打ち込んであるので、杖と鎖を頼りに歩くことが出来ます。
登り始めて10分ほどでしょうか?時計を持って歩かなかったため感覚でしかありませんが、木の隙間から本堂が見え始めます。賽の河原のように石が積んである場所や俊寛搭、鐘楼に到着し梵鐘を撞かせていただきましたが、写真がないため、順番が定かではありません。本堂の姿がしっかり見られるようになってくると、崖の上に石垣が組まれ、その石垣の下からは石垣を支えるように大木が数本伸び、その全てで峰定寺の本堂を支えている様子がよくわかります。
登り始めて15分〜20分程の本堂への階段直前、本堂とは反対側に人が歩けるかどうか?という山肌の上に小さなお社が祀られていました。峰定寺を守るために祀られた神社かしら?と思っていましたが、修験道の修行の行場だと、降りてから寺務所で教えていただきました。確かに修行になりそうな傾斜と道幅。さすがにそんな本格的な修行は出来ないので、お詣りは控えて正解だったようです。
そして、念願の本堂到着です。
日本最古の舞台懸崖造り建築と言われているこの本堂、貞和6年(1350年)頃に再建され、その後何度か修復したものだ、と言われています。木造建築ですが木の色は日に照らされ風雨に晒され、白っぽく変色しています。
靴を脱いで上がり、回廊を周ります。回廊の幅は1mくらいでしょうか?そんなに広くはなく、また闌干も高くはありません。回廊から下を覗くと、明らかに崖です。高所恐怖症でなくても竦んでしまう高さと狭さ、古さです。
何をおいても、まずは本堂にお詣りです。開けられた穴からお賽銭を入れお詣り。そこから本堂の中を覗くことは出来ますが、しっかり見ることはできません。
事務所で瞑想を、と言われていたのを思い出し、本堂に背を預け座り、周囲の山々を見渡したり呼吸を整えながら、同行してくれた友人と、重機もない時代にどう作られたか?に思いを馳せました。材料となる木でさえ、伐採してすぐに建材になる訳ではありません。人夫も大勢必要だったことでしょう。そして、人夫が増えれば食事や家も必要となります。また、その辺りの人を捕まえてきた所で、こんな何百年と存在し続ける建物は建てられません。
権力、財力、信仰心。あらゆるものを詰め込み、形となって残っている物の一つが、峰定寺なのでしょう。
ふと見ると南無大慈大悲観世音菩薩と唱えてください、と書かれた板が本堂に打ち付けられていました。(消えかかっていたので読みにくい所もあり、書かれていた言葉は定かではありません。)
回廊を歩いて行った最後に閼伽井(あかい)がありました。閼伽井とは仏様に供えるための水を取る場所で、山からの清水だったり井戸だったり。峰定寺の閼伽井は細いホースのようものから水を得られるようになっていて、その下の水盤の上に柄杓が置かれているのを格子越しに拝見。こちらの閼伽井も重要文化財です。
※下山後いただいたパンフレット。画像を拝借。
十分満喫したところで、心配をかけないように下山です。名残惜しく、後ろを何度も振り返りながらの下山でした。岩肌を歩く場所は下りの方が危険ですので、足元に気をつけながらの下山です。
仁王門が見えてきた所で、ようやく他の参拝客の方とすれ違いました。そう、この瞬間まで、峰定寺貸切状態でした。
峰定寺 下山後
下山後、お借りしていた杖とずた袋を返却しに寺務所へ。御朱印帳と荷物を受け取り、お礼を伝えて、今回の峰定寺は終了です。
峰定寺のお山はとても険しい山道が延々と続くということもなく、鞍馬寺や伏見稲荷のように時間がかかる訳でもありません。気持ちよく登って降りてこられて、時々修行の厳しさを感じる、丁度良い道程と距離、という感じです。
ご神木の三本杉への参拝、今回は省略しましたが、行かれる方は寺務所で場所を確認してから向かってください。
※境内を流れる寺谷川は、紅葉の名残に彩られていました。
※その名の通りの門前茶屋。閉まっていましたが、後ろの紅葉は綺麗でした。
修験道の修行場ですが、熊野系のような神仏習合というよりも自然との対話、という感じの峰定寺。初めて訪れた時、若い修行僧のような格好をした方が颯爽と登っていく様を見送りましたが、今でも修験道場としての役割も担っているようです。
叶うなら、もう一度。可能ならば、収蔵庫の拝観ができるときに、伺いたいと思います。
と申しますか。
私、峰定寺の本堂に伺えることが嬉しすぎて、六根清浄と唱えるどころか、サクサクと登りきってしまっていました…修行のやり直しが必要そうです。
峰定寺 御朱印
伺う前、峰定寺の山号が「大悲山」ということで、なんかとても悲しいような気がしていたのですが、「大悲」とは大きな慈悲の心、千手観音の異称の大悲観音から来ている、と知り、少し嬉しくなりました。歴史や仏教的な知識のない私が、普段使っている言葉通りで捉えてはいけないな、と改めて思いました。
拝観のしおりはお借りしたずた袋の中に、花背大悲山のパンフレットと入山証は下山後に受け取りました。5〜6年前には緑色のパンフレット一つだったかと思いますが、自然についての説明が増えました。
おまけ (周辺情報)
峰定寺にある、高級料理旅館 美山荘
峰定寺参道には、美山荘という摘草料理で有名な料理旅館があります。山側・川側両方に美山荘のお部屋があるため、参道というよりも美山荘の敷地を突っ切って峰定寺に行く、という感じがしました。
非常に高級な料理旅館なのですが、元々は峰定寺の宿坊だったそうです。
美山荘(みやまそう)(野草一味庵「美山荘」)は、京都の奥山、花背(はなせ)の里にある「摘草料理」で有名な料理旅館で、摘み取った季節の草花や旬の野菜に魚を取り入れた美しい料理は、立原正秋や白洲正子など多くの文化人から愛され、京都から「門外不出」といわれてきた。(…中略…)
奈良の春日大社の社家であった初代が、京都・鞍馬の奥の大悲山にある、花背の「大悲山峰定寺」の再興に共鳴し、1895年(明治28年)に峰定寺参りの信者のために宿坊として建てたのが始まりとされている。(…後略)
出典:wikipedia-美山荘
お食事だけで2〜3万、宿泊で5万位、一度は泊まってみたい高級料理旅館です。お時間とお財布に余裕がある方は、是非。
春日社
大悲山 峰定寺に向かう途中、銀杏を纏った神社がありました。どちら様でしょう?と思っていたところ、京都バスのバス停に「春日社」と。割拝殿というかバスの待合所というか…迷うところですが、鳥居の中なので割拝殿でしょう。
帰宅後に調べたところ、お盆に「松上げ」と呼ばれる、なかなか迫力のあるお祭りが行われるようです。隠れていますが、摂社末社もある、地元の人に大切に受け継がれている神社でした。
黒田の百年桜がある春日神社やこちらの春日社など、国道477号近くは春日神社が多い気がします。
京都 花背リゾート 山村都市交流の森
峰定寺辺りに残る自然を満喫したい方は、京都 花背リゾート 山村都市交流の森が主催するガイドツアーに参加してみては如何でしょうか?山村都市交流の森には宿泊施設もあるので、ガイドツアーも峰定寺も両方楽しむことが出来ます。
公衆トイレがあるので、峰定寺へお詣りする前に立ち寄る方も多いのでは?
市民の私でさえ気軽にフラッと伺える場所ではない上に、時期や天気まで関係してくる、大悲山 峰定寺。もし峰定寺に伺うチャンスが訪れたら、迷わず向かってください。
そして朝8時半頃に京都駅周辺を出発したほど気合いの入った今回は、そのまま京都市右京区の京北町を横断し、京都府亀岡市にある、出雲大神宮へ。
峰定寺から出雲大神宮へ向かう際は、常照皇寺前か道の駅 ウッディー京北辺りが公衆トイレのポイントになります。
出雲大神宮の紅葉の残りは、こちらから。
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