名称 | 露(つゆの)天神社 通称:お初天神 |
創建 | 社伝:大宝元年(700年)頃 |
主祭神 | 大己貴大神/ 少彦名大神/ 天照皇大神/ 豊受姫大神/ 菅原道真 | ||
境内社/摂社・末社 | 金刀比羅宮・水天宮/開運稲荷社/難波神明社 | ||
主なご利益 | 本殿:医学・薬学・病気平癒・商売繁盛・造酒・温泉・国土経営・武運長久・病気平癒・結縁 金刀比羅宮・水天宮:安産、児童守護、交通安全、水関係職種の守護 開運稲荷社:商売繁盛、五穀豊穣、皮膚病治癒 |
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所在地 | 大阪府大阪市北区曽根崎2丁目5番4号 | ||
最寄りの公共交通機関 | 大阪市営地下鉄谷町線 東梅田駅 大阪市営地下鉄御堂筋線・阪急電鉄・阪神電鉄 梅田駅 大阪市営地下鉄四ツ橋線 西梅田駅 JR 大阪駅 JR 東西線 北新地駅 → 徒歩約5~10分 |
露天神社(お初天神) 大阪駅から徒歩でGo!
大阪市北区にある露(つゆの)天神社。通称お初天神。「お初天神通り商店街」は関西では有名な商店街なので、「お初天神」という言葉は知っているという人も多いかと思います。今回大阪駅に用事があったついでにお初天神さんにお詣りに行ってきました。この辺りはJR大阪駅や阪急梅田駅などから続く地下街「うめちか」から10分もかからない商店街ということもありいつ行ってもサラリーマンから観光客まで多くの人が歩いています。
露天神社(お初天神) は南門が社殿正面
露天神社(お初天神)は、東西南北に門があるのでどこからでも入れる上に、うめちかから近いのは北門と西門なのですが、社殿の正面からお詣りをしようと南門から参拝です。
境内図は社殿近くにあるのですが、境内はこんな感じになっています。
この日は南門側の紫陽花が咲き始めていました。街中のオアシス的存在も兼ねていそうな雰囲気。
南門からの参道の右側は神庫と社務所の入った建物、建物の角に神泉露之井。現在は水位が下がっていると書かれていましたが、まだ枯れてはいない模様。左側にはセンサータイプの手水舎がありました。
露天神社(お初天神) 社殿の様子
改めて、社殿を正面から。周囲の建物の高さなどからも、露天神社が如何に都会にあるかがわかる風景。しめ縄を渡すためのしめ柱は京都ではあまり見かけない気がします。こちらに祀られているのは大己貴大神/ 少彦名大神/ 天照皇大神/ 豊受姫大神/ 菅原道真公の五柱。有名どころが揃っていて非常に豪華です。
菅原道真公が太宰府へ向かう途中、この地で「露と散る 涙に袖は 朽ちにけり 都のことを 思い出ずれば」という歌を詠んだと伝わっているとのこと。露天神社の「天神」の理由はその辺りなのでしょう。
露天神社 境内末社
露天神社社殿の東奥に、金比羅宮と水天宮。水天宮社は久留米藩蔵屋敷内に祀られていたものが明治維新により丸亀藩蔵屋敷の金毘羅宮社と合祀され、その後更に高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮とも合祀され、その後また一波乱ありようやく露天神社に辿り着いたという歴史に翻弄された神様。それでもずっと祀られ続けて来たということにも驚きです。
そして、境内の西側。西側には菅原道真公にちなんだ神牛舎、曽根先心中のお初と徳兵衛のブロンズ像、難転石、開運稲荷社と続きます。
露天神社(お初天神) 曽根崎心中 お初・徳兵衛心中の地
別にここまではまぁ色々あれど普通の神社だと思うのですが、露天神社はそれだけではありません。露天神社がお初天神と呼ばれるようになった事件がありました。
『曽根崎心中』(そねざきしんじゅう/旧字曾根崎心中、そねざきしんぢゅう)は、世話物浄瑠璃(江戸時代における現代劇浄瑠璃)。一段。近松門左衛門作。1703年(元禄16年)竹本座初演の人形浄瑠璃・文楽。のちに歌舞伎の演目にもなる。相愛の若い男女の心中の物語である。
(中略)
『曽根崎心中』は、元禄16年4月7日(1703年5月22日)早朝に大坂堂島新地天満屋の女郎「はつ(本名妙、21歳)」と内本町醤油商平野屋の手代である「徳兵衛(25歳)」が西成郡曾根崎村の露天神の森で情死した事件を題材にしている。この事件以降、露天神社はお初天神とも呼ばれる事が多くなった。
出典: Wikipedia-曽根崎心中-
神社(実際には現在の社殿裏ての天神の森)で心中というだけでも事件だと思うのですが、日付も名前も身元もわかっていて、更にそれをベースに浄瑠璃や歌舞伎の演目になるというのも滅多にないことかと思います。それもお初と徳兵衛の思いの強さでしょうか?今では露天神社は恋人の聖地として認定されているだけでなく、縁結びのご利益があると言われています。
そして、開運稲荷神社。明治42年「北の大火」によってなくなってしまった周辺の4つの稲荷社を合祀したという、なかなか強そうなお稲荷様。確かに開運出来そう…と思ってしまいます。お百度石があるのも、ご利益があって強く信仰されていたのだろうことを裏付けてくれます。
ということで、帰りは北門から。
北門はちょっとびっくりするような入口。お初天神ビルには飲食店が多く入っていました。周辺も飲食店も多いので、朝から晩まで賑やかだろうことが伺えます。
露天神社(お初天神)でいただいた御朱印
露天神社(お初天神)でいただいた御朱印。直書きのものと書置きのもの。今回は基本の露天神社と福犬が描かれた水天宮さんのものをいただきました。露天神社(お初天神)では本殿+各境内末社の御朱印やハート形の両面サイズのものなど数種類用意されていました。多分10種類以上用意されていたので、御朱印が多く欲しい!という方には非常にオススメの神社です。
書置きの御朱印の多くがシールタイプになっているので、貼るのも楽。渡してくださる時は表がわかるタイプの袋になっていたりと、色々気遣いを感じる御朱印。
同じように絵馬も10種類近く用意されており、願い事に応じた絵馬を選ぶことが出来るようです。
実際にそこで人が亡くなったということが明確なのに、それさえも乗り越えて聖地となった露天神社(お初天神)。歓楽街のオアシスとしてしっかり残るこの地は2人の思いに守られているのかもしれないなと思った、露天神社でした。
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