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晴明神社 陰陽師と式神と鬼と利休の地。

晴明神社 概要

名称 晴明神社
(せいめいじんじゃ)
創建 寛弘4(1007)年
主祭神 安倍晴明御霊神
境内社/摂社・末社 三社合祀(斎稲荷社社/天満社/地主社)
主なご利益 魔除 厄除 病気平癒 火避 方除
所在地 京都府京都市上京区堀川通一条上る晴明町806番地1
最寄りの公共交通機関 京都市営地下鉄烏丸線 今出川駅 → 徒歩約15分
京都市営バス 一条戻橋・晴明神社前 → 徒歩すぐ

晴明神社

京都市上京区にある、晴明神社。社名からもわかる通り、安倍晴明公を御霊神とする神社です。初めて訪れたのは学生の頃。その当時とは結構イメージが変わっていた気がします。

晴明神社 由緒 20210418

晴明神社 由緒 20210418

堀川通沿いに立つ、一の鳥居。扁額には社紋の晴明桔梗(五芒星)が掲げられています。

日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」や「晴明九字(せいめいくじ)」とも言い、キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言う。家紋として現在使用されているものの多くは、桔梗紋の清明桔梗と見られ、現在も晴明神社の神紋などに見ることができる。

出典:wikipedia-五芒星

この星型にも見える五芒星は五行思想の思想の木・火・土・金・水に基づいた形。

五行思想(ごぎょうしそう)または五行説(ごぎょうせつ)とは、古代中国に端を発する自然哲学の思想。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説である。

また、5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。

出典:wikipedia-五行思想

晴明神社 堀川通沿いの鳥居 20210418

晴明神社 堀川通沿いの鳥居 20210418

確かに桔梗は綺麗な五角形をしており、桔梗を図案化したと言われて納得です。


扁額に社紋が掲げられているのは珍しいと思いますが、それだけわかりやすいシンボルマークである、ということなのでしょう。

この一の鳥居から二の鳥居までの間の参道はそんなに距離がない上に小さなグッズショップまであるのですが、そのわずかな間に見逃せないものがあります。それは、  旧・一條戻橋。

一条戻橋 – 1995年(平成7年)に掛けなおされる以前の一条戻橋の親柱や部材を使用して作られた小さな一条戻橋。

出典:wikipedia-晴明神社

なぜ橋を…?という疑問は、現地に立てられている看板が解決してくれます。

一条戻橋の歴史は古く、平安時代から現在の地に架けられていたと言われているほど長い歴史を持つ為に多くの伝承が残っています。京都市民に浸透しているの逸話は「生きて戻ってこられるように橋を渡ってから出兵した」「嫁入り行列で渡ったら出戻るから渡ったらあかん」かもしれませんが、逸話の一つには安倍晴明にまつわる逸話も残されています。

「戻橋」という名前の由来については『撰集抄』巻七で、延喜18年(918年)12月に漢学者三善清行の葬列がこの橋を通った際、父の死を聞いて急ぎ帰ってきた熊野で修行中の子浄蔵が棺にすがって祈ると、清行が雷鳴とともに一時生き返り、父子が抱き合ったという。

『平家物語』剣巻には次のような話がある。摂津源氏の源頼光の頼光四天王筆頭の渡辺綱が夜中に戻橋のたもとを通りかかると、美しい女性がおり、夜も更けて恐ろしいので家まで送ってほしいと頼まれた。綱はこんな夜中に女が一人でいるとは怪しいと思いながらも、それを引き受け馬に乗せた。すると女はたちまち鬼に姿を変え、綱の髪をつかんで愛宕山の方向へ飛んで行った。綱は鬼の腕を太刀で切り落として逃げることができた。腕は摂津国渡辺(大阪市中央区)の渡辺綱の屋敷に置かれていたが、綱の義母に化けた鬼が取り戻したとされる。

戻橋は橋占の名所でもあった。『源平盛衰記』巻十によれば、高倉天皇の中宮建礼門院の出産のときに、その母の二位殿が一条戻橋で橋占を行った。このとき、12人の童子が手を打ち鳴らしながら橋を渡り、生まれた皇子(後の安徳天皇)の将来を予言する歌を歌ったという。その童子は、陰陽師・安倍晴明が一条戻橋の下に隠していた十二神将の化身であろうと書かれている。安倍晴明は十二神将を式神として使役し家の中に置いていたが、彼の妻がその顔を怖がったので、晴明は十二神将を戻橋の下に置き、必要なときに召喚していたという。

出典:wikipedia-一条戻橋

1000年以上前から何個もの逸話が残る戻橋。何度も架け替えられて来たこの橋ですが、前回の架替の際、親柱等が晴明神社敷地内に移されたようです。

晴明神社 旧一条戻橋 20210418

晴明神社 旧一条戻橋 20210418

式神像が橋の横に置かれているのですが、想像よりも愛嬌がありました。

晴明神社 旧一条戻橋横式神像 20210418

晴明神社 旧一条戻橋横式神像 20210418

そして、見逃せないとか言いながら写真を忘れた日月柱…。木々に埋もれるように大きな狛犬も。地面に近い所に置かれた、とても大きな狛犬です。そして今回何故かまともに撮影していた狛犬は、この子だけ…もしかしたら狛犬さん達に警戒されていたのかもしれません。

晴明神社 20210418

晴明神社 20210418

続いてすぐ、二の鳥居。葭屋町(よしやまち)通という南北の道路に境内が寸断されているかのように感じますが、堀川通と葭屋町通の間は後から拡張された場所だそうです。

幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われ、1950年(昭和25年)には堀川通に面するように境内地が拡張された。

出典:wikipedia-晴明神社

こちらの扁額には「晴明社」と書かれており、横には社紋の清明桔梗が描かれた提灯が掲げられていました。

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居 20210418

晴明神社 葭屋町通沿いの二の鳥居 20210418

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居 横から 20210418

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居 横から 20210418

そして、二の鳥居の手前左側には「千利休居士聚楽屋敷趾」の石碑。千利休の屋敷がこの辺りにあったとは知りませんでしたが、表千家の不審庵や裏千家の今日庵、武者小路千家の官休庵にもほど近く、納得の場所です。

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居手前千利休屋敷跡碑 20210418

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居手前千利休屋敷跡碑 20210418

鳥居の間に見えるのは、四神門。シンプルな門ですが、四方向に四神(東の青龍・南の朱雀・西の白虎・北の玄武)が描かれたタイルのようなものが埋め込まれています。

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居と四神門 20210418

晴明神社 葭屋町通沿いの鳥居と四神門 20210418

晴明神社 境内へ。

さて、お待ちかねの境内。入ってすぐ右、塀沿いに晴明井。こちらは井戸だそうですが、イメージする井戸とはちょっと違います。

本殿の北には、晴明井といわれる井戸があり、ここから湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれている。

伝承によれば千利休が茶会において、この井戸から汲んだ水を沸かし、茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服されたと伝えられている。

この井戸は五芒星(晴明桔梗)を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっている。

出典:wikipedia-晴明神社

さて。wikipediaの情報では晴明井は本殿の北となっていますが、2021年4月の時点では門を入ってすぐ、場所的には本殿の東に位置します。この晴明井はスマホの待ち受けにするとご利益があるとか。どの角度から撮った晴明井にご利益があるのか、非常に気になるところ。感染症対策の一環でしょうか?この日は水が出ていませんでした。

晴明神社 晴明井 20210418

晴明神社 晴明井 20210418

晴明井の西側に手水社。手水鉢は感染予防対策の一環で水を抜かれ、使用できない状態。その代わりにアルコールが用意されていました。アルコールにも五芒星、なんだか効き目も強そうです。

晴明神社 手水鉢 20210418

晴明神社 手水鉢 20210418

南側の壁には安倍晴明公の逸話を描いた顕彰板。こんなにあるんだなぁ…と思うほど、知らないものも多く書かれていました。

晴明神社 壁面 顕彰板 20210418

晴明神社 壁面 顕彰板 20210418

さて。南側から見た晴明公の像と本殿拝所と厄除け桃、末社拝所、御神木。晴明神社はとても有名な神社ながら、お詣りする場所は意外と少なく、西側のこの場所に集約されています。本殿には今更言うまでもなく安倍晴明公が祀られています。そして北側にはお稲荷様と天神様と地主神様。遠目には囲われているため一続きに見えますが、別社で祀られています。

寛弘2年(1005年)に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え、晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、寛弘4年(1007年)、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。

出典:wikipedia-晴明神社

上の方まで写らなかった御神木の大楠は樹齢300年と言われている巨木です。多くの人が触っているのでしょう、少し表皮の色が変わっていました。その大きさは現地で確認してください。

晴明神社 社殿と御神木 20210418

晴明神社 社殿と御神木 20210418

そして脇にいらっしゃるのは、安倍晴明公。

安倍 晴明(あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら / はれあきら、延喜21年1月11日〈921年2月21日〉 – 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉)は、平安時代の陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むことが多いが、これは音読みであり、諱本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖。

〈中略〉

延喜21年(921年)に摂津国阿倍野(現・大阪市阿倍野区)に生まれたとされる。また、生地については、奈良県桜井市安倍とする伝承もある。幼少の頃については確かな記録がないが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学び、天文道を伝授されたという。賀茂氏の門下生であり、のちに両家は二大陰陽道宗家となる。

出典:wikipedia-安倍晴明

様々な逸話が残り、その多くが科学的には不可解な事象(式神等)なのでなかなか実在の人物とは思いにくいのですが、藤原道長や貴族が日記に残していたり土御門家という子孫がいたりと、安倍晴明公自体は実在の人であったことや天文学に精通した人であることは間違いないと思われます。安倍晴明公は陰陽寮と呼ばれる官庁に勤めていた陰陽師。

四等官制が敷かれ、陰陽頭(おんようのかみ)を始めとする幹部職と、陰陽道に基づく呪術を行う方技(技術系官僚)としての各博士及び陰陽師、その他庶務職が置かれた。陰陽師として著名な安倍晴明は陰陽頭には昇らなかったが、その次男吉昌が昇格している。

博士には陰陽師を養成する陰陽博士、天文観測に基づく占星術を行使・教授する天文博士、暦の編纂・作成を教授する暦博士、漏刻(水時計)を管理して時報を司る漏刻博士が置かれ、陰陽、天文、暦3博士の下では学生(がくしょう)、得業生(とくごうしょう)が学ぶ。

因みに天文博士は、天体を観測して異常があると判断された場合には天文奏や天文密奏を行う例で、安倍晴明も任命されている。

出典:wikipedia-陰陽寮

今で言うならば、国家公務員陰陽師でしょうか?当時の京都は日本の中心。その中心の天文異変や天変現象の先を読めた、というだけでも名声を得られるのはわかる気がします。

晴明神社 安倍晴明公像 20210418

晴明神社 安倍晴明公像 20210418

この晴明公像はどの資料から作られた物なのかはわかりかねますが、「あれ、もっと細面のイメージ」と思ってしまいました。私が思い描いていたのは多分映画のイメージ、ビジュアルの力って怖いですね。

晴明神社は晴明井の写真を待受画像にする人が多いようですが、晴明公の方が強力なんじゃない?と思わずにいられないのは私だけでしょうか?

晴明神社 安倍晴明公像 20210418

晴明神社 安倍晴明公像 20210418

そして、厄除桃。撫でて厄除けするための桃です。

桃は古来より魔除け・厄除けの果物といわれており、古事記や日本書紀などでも魔物を追い払う様が描かれています。

陰陽師で有名な安倍晴明が祀られている京都の清明神社には、桃の銅像が置かれており、その桃を撫でると厄が落ち健康になるといわれています。また、桃太郎伝説で有名な岡山県の「吉備津神社」にも「桃」にちなんだお守りやおみくじが多数あり、ご利益を求め毎年多数の参拝者が訪れています。

食べてもおいしい桃ですが、桃には罪・穢れを払い人々を健康にし幸せにする効果もありますので、是非飯坂町に来て桃をご堪能ください。

出典:飯坂町商工会-お知らせ-桃にはこんな効果もあります

桃の節句もあるように、「桃」そのものが厄除けとして敬われて来たのでしょう。

晴明神社 厄除桃 20210418

晴明神社 厄除桃 20210418

晴明神社の桃は五芒星が添えられた大きな桃の実です。コロナ禍のため2021年現在は触る人も少ないでしょうが、よく撫でられている場所がツヤツヤしています。こちらも待受にしても良さそうな立派なもの。

晴明神社 厄除桃 20210418

晴明神社 厄除桃 20210418

晴明神社 御朱印とクリアファイル

晴明神社でいただいた御朱印。書置のもの。挟み紙には御朱印の文字の話が書かれていました。御朱印をいただく様になってから初めて伺ったので、書置はコロナ禍の影響かどうか?コロナ禍が終わった後直書きで頂けるのか?まではわかりませんが、文字の説明がある以上、ずっと書置対応なのでは?と思われます。

晴明神社 御朱印 20210418

晴明神社 御朱印 20210418

晴明神社 由緒書きとクリアファイル 20210418

晴明神社 由緒書きとクリアファイル 20210418

授与所の壁辺りに顔出し看板がありました。神社仏閣で顔出し看板を見かけたのは久しぶり。晴明公になるか式神になるか…悩みどころですね。

晴明神社 顔出し看板 20210418

晴明神社 顔出し看板 20210418

 

晴明神社 近隣もオススメ。

ここまで来たら堀川通りを北上し今出川通まで足を伸ばして、鶴屋吉信本店さんの2Fへ。

鶴屋吉信 本店 - 京都・西陣 | 店舗を探す | 京菓匠 鶴屋吉信の和菓子 - 鶴屋吉信公式サイト
鶴屋吉信 本店の店舗情報。京菓匠 鶴屋吉信は京都の西陣に本店を構え、春夏秋冬、四季折々の和菓子、甘さ控えめ、素材の風味を生かした和菓子の数々をお取り寄せいただけます。

※ツイート時、菓遊茶屋さんのお名前間違っていました…大変失礼いたしました。

お休み処の一角に菓遊茶屋が併設されているのですが、菓遊茶屋では注文した季節の和菓子を職人さんがその場で成形していく様子を拝見できます。色々質問にも答えてもらえる、滅多にない機会です。その隣の交差点角にある、鶴屋吉信さんの運営するtubaracafe。隣接する鶴屋吉信本店とは全く違う雰囲気の、白が基調のカフェです。カフェですので、のんびりゆったりお茶をしたり、お土産に生つばらを購入したり。
https://www.instagram.com/tubaracafe/

一息ついた後には、堀川今手川の交差点を東に行くとすぐに白峯神宮さん、北上すると本法寺さんや水火天満宮などがあります。どちらも徒歩圏内、お茶をしながら参拝したら、半日なんてすぐに過ぎてしまいます。

本法寺 文化財の宝庫へ。
京都市上京区にある本法寺。長谷川等伯縁のお寺で本阿弥家の菩提寺という、芸術家と縁の深いお寺です。宝物館では長谷川等伯作の佛涅槃図の原寸大の複製品が常設されています。毎年3月14日~4月15日には真筆を拝見できるチャンスも。ライトアップや特別公開など、折に触れて限定御朱印を用意されるお寺でもあります。
【本法寺 塔頭】尊陽院 本法寺の境内から向かう優しいお寺。
京都市上京区にある本法寺塔頭の尊陽院。本法寺の境内の叡昌松の向こう側に「御朱印」の文字を見つけ、伺って参りました。山門横のお花も見事。境内の撮影可否はわかりませんが、今回は控えさせて頂きました。絵入り御朱印が好きな方にオススメです。

勿論、現在の一条戻橋へもすぐです。なかなか交通量の多い橋なので、散策の際は気をつけて。

一条戻橋 20210418

一条戻橋 20210418

他にもある、安倍晴明公所縁の神社仏閣。

安倍晴明公縁の神社仏閣で欠かせないのが、下京区にある梅林寺さん。安倍晴明公を祖とする安倍氏嫡流の土御門家の菩提寺。以前は解放されていた梅林寺様ですが、オーバーツーリズムの被害を受け、現在は事前予約が必要となっております。

そして、土御門家の残した資料を今でも見ることができるのが、大将軍八神社。大将軍八神社の御朱印帳は可愛いのでオススメです。

大将軍八神社 平安時代から京都の北西を守る神社
京都市上京区にある、大将軍八神社。平安時代に京都の北西を守るためにこの地に建てられた神社です。元々は方除けの大将軍様を祀った神社でしたが、明治時代の神仏分離令により、主祭神が変更されています。そんな時代の流れを掻い潜って来た神社には多くの神様が祀られていました。【2021年10月再訪、御朱印帳をいただきました。】

もう少し近代の日本で天文学を収めていたのは、渋川春海という人物。この人物と縁が深いのは、アイドルをプロデュースしたりドローン仏など、新しいことに取り組み続ける下京区の龍岸寺。ユニークな掲示板でも有名です。

龍岸寺 超十夜祭 2018/10/13〜2018/11/18と浄土宗寺院大公開
京都市下京区にある龍岸寺。アイドルが居たり掲示板に書かれた言葉が面白かったり、色々話題豊富な龍岸寺。10月13日(土)~11月18日(日)の間、「超十夜祭」と名付けられた十夜法要を軸としたイベントが行われています。イベント時以外は非公開寺院だったような記憶に、この機会を逃しては!と、伺って来ました。※令和元(2019)年、5(2023)年浄土宗寺院大公開でいただいた御朱印を追加しました。

 

20年超の間に晴明神社の近くまで行く用事は何度もあったのですが、伺わなかった理由は私の中のイメージ。神社仏閣を取り巻く環境もその周辺との関係も、人が絡むとなかなか難しいですね。こういう時、神様だけだったらうまくことが進むのでしょうか?

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