・淀城跡地になるため、お城好きさんにもおすすめ!
與杼神社 概要
名称 | 與杼神社 (よどじんじゃ) |
創建 | 応和年間 |
主祭神 | 豊玉姫命 高皇産霊神 速秋津姫命 |
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境内社 | 長姫弁才天社 / 豊丸社 / 川上社 / 日大臣社 | ||
主なご利益 | 淀・納所・水垂・大下津地区の産土神 | ||
所在地 | 京都府京都市伏見区淀本町167 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京阪電鉄 京阪本線 淀駅 → 徒歩約3分 |
淀駅からすぐの與杼神社へ。
京都市伏見区にある與杼(よど)神社。この辺りは淀と呼ばれる地区になるのですが、淀には京阪電鉄京阪本線の淀駅があり、駅の横には京都競馬場があります。利用人数に比べて大きく近代的な駅がある理由は京都競馬場なのだろう…と思わずにいられない程立派な駅。重賞レースが行われる日には多くの人で賑わうであろう淀駅から徒歩3分程の位置に與杼神社はあります。産土神社である與杼神社は常用漢字ではない與の文字が使われています。常用漢字で表すと与杼神社。
與杼神社、最初の鳥居。一の鳥居と言っていいのかどうかは悩みどころ。参道が曲がっているため鳥居の正面には授与所があるという、ちょっと変わった印象を受けた参道。
駐車場の前を通り過ぎ、大きな銀杏の間にかけられた注連縄の下を潜ります。木の間に注連縄がある、というのはなかなか見ない気がします。この銀杏から結界ということでしょうか?それにしてもなかなか大きく立派な銀杏の木。
葉が落ちるとより一層不思議な感覚に陥ります。
銀杏に守られた結界の中は拝殿・本殿がある場所よりも一段低く少し不思議な空間となっていました。
参道を挟むように神輿庫。
反対側に手水舎。手水舎は新型コロナウイルスの影響を受け、使用中止となっていました。
階段手前の狛犬さんたち。威風堂々、爪が魅力的です。
さて。前述の不思議に思ったもの。手水舎と向かい合うような位置、狛犬の左側に鳥居…ではない注連縄のかけられた石柱2本と石、石の前のテーブル、テーブルの上には箒らしきものが置かれていました。多分石を箒で撫でるのだろう…と思いつつも、もしかしたらその後体の一部を撫でるとか?その逆もあり?など考えがまとまらず、万が一失礼があっても…と思い遠慮してしまいました。現地にも公式サイトにも詳細が書かれておらず未だ不明のままですが、地元の方ならご存知なのかもしれません。
與杼神社 一段上がって石柵の中へ。
一段上がった石柵に囲われた境内にはいると、左手には川上社(川上大明神)、豊丸社(豊富大明神)、長姫社(長姫弁財天)と並びます。細かな由来はわからないものの、境内に祀られているということは淀地区や淀城に関わりがあった方ではないかな?と思ってみたり。
與杼神社の拝殿
拝殿は重要文化財に指定されています。
拝殿(重要文化財)- 慶長12年(1607年)、豊臣秀頼によって片桐且元を奉行として再建。
重要文化財だからでしょうか?木の柵で囲われていました。覗いてみたところ、格天井のシンプルな拝殿ですが、正面に立った時に見える格子が細かくとても綺麗です。
與杼神社の本殿。
現在の本殿は昭和50年の焼失により昭和55年3月に建立されました。
その間の昭和50年から54年まで伊勢神宮より「由貴御倉」を拝領し元の本殿敷地内に仮本殿として安置、氏子各位の浄財のご寄進を募り建て替えとなりました。
三間社流造りで屋根は銅板葺きで床面積46平方メートルとなっています。
1971年(昭和46年)に重要文化財に指定された。しかし、1975年(昭和50年)8月5日に中学生による花火の火が檜皮葺の屋根に着火しことが原因により火災で焼失した。
なんとなく私の中の三間社流造りのイメージは柱が前にあるイメージだったので、思っていたのとは異なりましたが、再建からある程度の年月が経ちいい色味に落ち着いてきた本殿は、狛犬さんたちの古さともバランスが取れて来たのではないでしょうか?
こちらに祀られているのは豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命の三神。
『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、高木神、『日本書紀』では高皇産霊尊と書かれる。また葦原中津国平定・天孫降臨の際には高木神(たかぎのかみ)、高木大神(たかぎのおおかみ)という名で登場する。
別名の通り、本来は高木が神格化されたものを指したと考えられている。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉で、神皇産霊神とともに「創造」を神格化した神である。
日本書紀の神代下では、将軍や皇孫を葦原中国に降ろす神として登場する。
出典:wikipedia-タカミムスビ–
神社仏閣が多く存在する京都でも、本殿に高皇産霊神が祀られている神社はそんなに多くないよなぁ…と思うのですが、本当のところはどうなんでしょう?
伊勢神宮の由貴御倉だった與杼神社の日大臣社
與杼神社の本殿の奥にある、日大臣社。こちら、質素な雰囲気ながらも千木・鰹木がしっかりと乗っています。こちらは本殿が消失した與杼神社の仮本殿として利用されていたという、伊勢神宮の由貴御倉だそう…ですが、詳細は全くわかりません。今、お社として置かれているということは、何方か祀られているのかな?と思わなくもないのですが、それさえもわからず仕舞いです。
本殿の左奥には大阪の豪商が寄進したという高灯篭と與杼神社を勧請した頃の石の基盤だそうです。この辺りは「!!!」と思う人と「???」と思う人が分かれそうですね。
與杼神社でいただいた由緒書と御朱印
鳥居の正面にあった授与所でいただいた御朱印と由緒書。由緒書が手作り。こういうの大好きです。御朱印は以前は手書きだったそうですが、コロナ禍以降書き置きに変わったそうです。個人的には御朱印にご利益がある訳ではないので問題にすること自体間違っているのでは?と思います。
※御朱印は変更・終了される可能性があります。
淀城敷地内にあるもう1つの神社、稲葉神社
さて。與杼神社のある淀城跡地にはもう1つ神社がありました。淀城の石垣の上から全体的に見るとこんな感じ。奥にあるのが與杼神社の本殿で手前にあるのが稲葉神社です。
久々に見た割拝殿…と思われる建物。残念ながら閉められていたために潜ることができませんでした。
本殿。ちゃんと狛犬さんが守る本殿
本殿の手前には稲葉神社の由緒が彫られた石碑がありました。この石碑を設置したのは、稲葉家十九代当主の方。まだまだ新しい石碑なので、ぜひ見に行ってみてください。
本殿の背後には末社もあります。本殿が代々の稲葉家の方を祀っているのならば、その代々の当主を守って来たのはこの末社なのでしょう。
淀城跡地内で行き来できるという点では同じ敷地にある訳ですが、稲葉神社には稲葉神社の参道があります。
淀城跡の公園
ここまで與杼神社と稲葉神社は淀城跡地にあると繰り返して来ましたが、淀城の紹介もしっかりされています。
この公園はいつ行っても子供の姿がある、懐かしい雰囲気のする公園です。3月に訪れた際には、境内の端の方で将棋か囲碁を楽しまれているご老人方もいらっしゃいました。
石垣の上は歩けるようになっている部分もあり、公園や與杼神社と稲葉神社を見ることもできます。
石垣の上を散策するコースは高い位置にあり、京阪電車を見ることも出来ます。
お城跡とは言え御城院などはありませんが、京都市内で楽しめる城跡として立ち寄るのもいいのでは?と思います。
いつも長円寺さんに参拝に出向いた帰りに立ち寄る與杼神社。

京都競馬場からも徒歩数分なので、お城好きさんや競馬好きさんと出向くのも良いのではないでしょうか?
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