若一神社 概要
名称 | 若一神社 (にゃくいちじんじゃ) |
創建 | 宝亀3年(772年)/ 仁安3年(1166年) |
主祭神 | 若一王子 | ||
境内社/摂社・末社 | 相生寿命社 弁財天社 松尾社 稲荷社 祖霊社 楠社 | ||
主なご利益 | 開運出世 | ||
所在地 | 京都市下京区七条御所ノ内本町98 | ||
最寄りの公共交通機関 | JR西大路駅 → 徒歩約6分 京都市営バス → 徒歩約10分 |
不意に碁盤の目が崩れる、西大路八条交差点
京都駅から西へ一駅、各駅停車しか止まらないJR西大路駅の北側にある西大路八条の交差点は、碁盤の目の中にも関わらず、片側2車線の幹線道路である西大路通りが緩やかに湾曲しています。
そこには樹木を植えて無駄に広い歩道を埋めた苦肉の策と、少し盛り上がった場所に茂る大木があります。この盛り上がった場所にあるのは、楠社(くすやしろ)と平清盛公御手植えの楠(くすのき)。
「あの楠は切られへんかったんや、色々起こるからな」と観光タクシーの運転手である師匠からは聞いていましたが、理由を詳しく知ったのは『京都を古地図で歩く本 (KAWADE 夢文庫出版 ロム・インターナショナル[編])』。
この本によると、昭和に入ってからこの楠を切ろうとした関係者に異変が起きた、ということですが、多分昭和に入るまでにもそのようなことが何度もあり、昭和になるまで現在の地で残り続けて来たのではないか?ということは容易に想像することができます。
なぜなら、平清盛公御手植えと言われる楠が残り続けて来た年数が、あまりにも長いから。平成三十年は平清盛公生誕900年です。ということは、この楠は短くとも800年以上はこの地に根付いて来た、ということになります。
若一神社と平清盛公
さて、そんな楠社を境内社とするのは、本来であれば西大路通りに接したのであろう、若一神社。楠と楠社のある盛り上がった場所の東側にあります。
ここは、平清盛公の西八条殿跡地の一部に建つ神社で、石碑も立っています。
さて、いつもの京都市のこま札。こちらに詳しい歴史が書かれています。今回、概要に創建の年を二つ書いたのですが、最初に宝亀三年(772年)威光上人が紀州熊野で若一王子の御神体を…というのを創建とするのか? 仁安元年(1166年)平清盛公が熊野詣を…というのも創建と考えるのか?という点。両方とも社伝なのでどちらを創建と言っても間違いではないのでしょうが、両者には400年の大きな違いがあります。
ただ、御神木の所に掲げられている若一神社の看板には、仁安元年(1166年)創建、と書かれているので、若一神社としての創建は仁安元年(1166年)というのが正しいのかもしれません。どちらにしても、ここ若一神社は若一王子の御神体と平清盛公のどちらが欠けても始まらなかった神社なのです。
若一神社 境内の様子
境内に入るとすぐ、右手に手水舎と平清盛公の像に迎えられます。教科書に乗っていた六波羅蜜寺の坐像や数年前の大河ドラマの印象が強かったので、髪があることに驚いてしまいました。まぁ考えてみれば、髪があるなんて、当たり前のことかもしれません。
そして、手水舎の前、入り口の左手に祖霊社・お稲荷さん。こちらのお稲荷さんは福徳稲荷様という、何ともありがたいお名前に、思わずいつもより頭が下がります。
境内のあちこちに奉納された提灯が掲げられ、中々賑やかです。
お稲荷さんの隣に、本殿があります。新しく綺麗な本殿。こちらには若一王子が祀られています。若一王子といえば熊野信仰ですが、こちらは熊野系の神社とは違います。
若一王子(にゃくいちおうじ)は、神仏習合の神である。若王子(にゃくおうじ)ともいう。
(中略)
熊野信仰が日本各地に広まるにつれ、熊野権現が各地に勧請されたが、若一王子のみを勧請する場合も多かった。神仏分離に伴い、「若一王子」を天照大神や瓊々杵尊に変えた所も多いが、従前のまま「若一王子」として祀っている神社もある。
出典:wikipedia-若一王子
京都には熊野と名のつく神社が三カ所あり、どこも若一王子をご祭神とはしていません。熊野系の神社に伺うと特に思うのは、独自の世界観だけでなく、神仏分離に伴う廃仏毀釈などの影響もありなかなか一筋縄では行かず、それぞれがそれぞれの歴史を辿ったんだな、と思うと、その歴史を理解しようと思うことさえおこがましいことなのかもしれない、と思います。
境内の奥、南西方向には相生寿命社と弁財天社があります。
相生寿命社の御祭神は高砂尉と姥と書かれていました。能の題材になっている、あの『高砂』です。そのため、ご利益も「縁結び」と「長寿」。この相生寿命社の横には、ハート型の絵馬が置かれていました。
そして、弁財天社。弁財天社には市杵島姫命様。若一神社の弁財天社のご利益は、芸能・音楽・福運とのこと。芸能や音楽に関係がある人は稀かもしれませんが、福運と書かれていては素通り出来ません。
ちなみに、境内入って正面の建物が、社務所です。
若一神社 御神水
色々ぎゅっと詰め込まれた若一神社ですが、一番人が多く集まるのは御神水かもしれません。
ずっと御神前に供え続けて来て、平家物語にも登場していると言われるこちらの御神水。巻第六 入道死去の項で(平清盛公死去の直前に)水も飲めなくなった、板に水を注いで体を冷やしたと書かれている水のことを指していると思われます。平家物語では、清盛公の葬送の夜、ここに建っていたとされる西八条殿は焼け落ちたとされています。
この歴史的文学にも出てくる御神水、今は自由に汲んで帰ることができるため、訪れた日も2ℓのペットボトルを数本携えたご婦人が一生懸命水を汲んでいらっしゃいました。
若一神社 楠社(くすやしろ)と大楠
冒頭で説明した、西大路八条の西大路通りを歪めている場所。その盛り上がった所もお詣りすることが出来ます。
そこには、平清盛公が自らの手で植えたと言われる御神木の楠が、今尚健在です。御神木の前には楠社があるので、立身出世を願う方は是非お詣りしてみてください。樹皮に触れて行く人も多いようです。
※愛宕山を拝んでいたのだろう、場所。今はマンションで見えませんが、愛宕山の方向を向いています。
若一神社 御朱印
夏に伺った時にいただいていた御朱印。この時、目で見てわかるほどの大量の蚊に襲われ、「源氏の子孫が統治していた地の出身だからかしら?」と思っていた私。境内で殺生してしまったことを少し心苦しく思っていましたが、神職の方に「社務所あたりは蚊が多くて」と笑って見過ごしていただきました。
2度目の平成30年の参拝の際は何事もなく無事に参拝出来て、一安心です。
霊感があるという著者の方が若一神社を参拝された様子を書かれています。やっぱり大楠なんですね、と頷いた一冊です。
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平清盛公の坐像を拝見するなら、六波羅蜜寺の宝物館へ。
源氏の家系なんですけど!という方はこちらの六孫王神社へどうぞ。
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