・珍しい「平野造」の本殿。
・北野天満宮の北門から徒歩4〜5分、敷地神社(わら天神)へも徒歩圏内。
平野神社 概要
名称 | 平野神社 (ひらのじんじゃ) | 創建 | 平安遷都(794年)頃 ※諸説有り |
主祭神 | 今木皇大神 久度大神 古開大神 比売大神 | ||
境内社/摂社・末社 | 縣神社 八幡神社 春日神社 住吉神社 蛭子神社 鈿女神社 出世導引稲荷神社 猿田彦神社 | ||
主なご利益 | 開運、厄除、出世など | ||
所在地 | 京都府京都市北区平野宮本町1 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京福電気鉄道北野線 北野白梅町駅→6分 京都市営バス衣笠校前→3分 |
平野神社 桜の名所として知られる神社へ
梅花祭の日に訪れた、北野天満宮。

ここまで来たら寄らない訳には行かないよな…と思い、北野天満宮の北門から向かったのは、徒歩数分の所にある平野神社です。たった数分、北野天満宮の北門の前を走る一本道を西に向かって数分歩いただけで辿り着きますが、北野天満宮は上京区で平野神社は北区になります。
北野天満宮から続く通りの突き当たりの参道から。平野皇大神(ひらのすめおおかみ)と書かれていました。そして、その奥の大木。大きな木が何本もあるなか、一際目立つ存在感。
平野神社 境内へ。
大きな額が掲げられた鳥居を潜ると、左手に末社の出世導引稲荷社と猿田彦社へと向かう鳥居があります。正面がお稲荷さん。その東側に猿田彦社。寒い日が長く続いていた2018年2月25日には、水仙と臘梅、10月桜が咲いていました。
猿田彦神といえば導きの神様だと思っていたのですが、平野神社の立て看板では「知恵の神・子守りの神」として祀られていると書かれていたことに驚きました。看板に「猿のぬいぐるみを奉納するして祈願すると、霊験あらたか」と書かれていたのですが、この日も詳しい方が奉納したのであろう、教育テレビで人気のアニメキャラの猿のぬいぐるみがかけられていました。
「知恵の神・子守りの神」でもあり、導きの神でもある猿田彦社の横の出世導引稲荷社。大原に移転したことで話題になった出世稲荷神社も有名ですが、導かれるように出世したいならここしかない!という印象を受けました。
それにしても、お稲荷様は本当に万能ですね。
参道に戻りまっすぐ社殿に向かう途中、平野神社の由緒を詳しく書いた説明を見つけました。非常にみっちりと書かれていて、読んですぐに覚えられる量ではありません。授与所で頂いた由緒書きに同じことが書かれていましたので、気になる方は授与所で由緒書きを頂いてください。私は参拝後に頂きましたが、参拝前に頂き読みながら参拝する方が、理解が深まるかもしれません。
そう思ったのは、平野神社の本殿に鎮座されている神様方が、今までにお会いしたことがない、見なれないお名前の方々だったから。
現在の祭神は次の4柱。一番北の第一殿から順に1殿1柱ずつ祀られている。
- 第一殿:今木皇大神(いまきのすめおおかみ、今木神) – 主神。
- 第二殿:久度大神(くどのおおかみ、久度神)
- 第三殿:古開大神(ふるあきのおおかみ、古開神)
- 第四殿:比売大神(ひめのおおかみ、比売神/比咩神)
出典:wikipedia-平野神社
かろうじて比売大神様だけは、どこかでお見かけしたような…? それでも記憶は曖昧で、非常に珍しい神様にお会いするんだ、という気持ちになりました。
襟を正して、参道を進み、手水舎で手を清め。
平野神社の手水舎は、地下を掘り組み上げられている御神水。この日も気持ち良く水が溢れていました。また、御神水を組んで持ち帰る人用の蛇口が別に設けられていました。
東神門と呼ばれる門の横に、大きな桜の木があります。反対側には授与所が。
平野神社発祥の桜で早咲きの品種であることから この桜が咲き出すと都のお花見が始まると言われています
出典:平野神社公式サイト
早咲きの品種とはいえ、梅がようやく咲き始めた2月では、桜はまだまだ。少し残念ですが、東神門もなかなか立派。桜が咲いていない時期だからこそ、東神門の姿がはっきりわかります。
そして、拝殿まで真っ直ぐ続く石畳とその向こうの社紋入りの提灯、心踊る光景です。
平野神社 東神門の中へ。
東神門を潜ると見えてくるのは、遠くから見えていた大木の根元と古い拝殿。近づいてみると、御神木 樟(くすのき)と書かれていました。樟の周囲が絵馬やおみくじを結び付けられるようになっているため、境内の他の木におみくじが結ばれることなく守られていました。
なんとなく木に結んでしまうこともありますが、木が痛むことを考えると、結ぶ場所が決められている方が嬉しいです。
樟の周りは一周回れるようになっていて、多分多くの人が触りながら一周するのでしょう。人の手の高さあたりの樹皮が少し削られたかのように色は薄く、幹の凹凸が少なくなっていました。どうやら本殿へのお詣り前にこちらの樟の周りを一周してパワーを頂く参拝方法が、平野神社のオススメのようです。私はつい後回しにしてしまいそうでした(オススメというだけなので、気がつかず後回しにしてしまっても、大きな問題はないかと思われます)。
そして御神木の樟の前には、すえひろがねと紹介された、日本最大級の餅鉄が置かれていました。
拝殿も檜皮屋根が苔むして、いい感じに古さを醸し出していました。拝殿には拝礼の作法として二拝二拍手一拝の方法が図入りで書かれていました。最敬礼(腰を90度まで曲げる)が正しい参拝方法の様です。私もつい軽く頭を下げる程度で終わってしまうことが多いのですが、気をつけたいものです。
この拝殿、中を覗くと百人一首の読み札の様な絵がずらりと掲げられていました。そして、天井は折上格天井(おりあげごうてんじょう)となっていました。格の高い人が座る場の天井に用いられることが多い、折上格天井。平野神社の格式の高さを表しているかのようです。
拝殿は慶安3年(1650)東福門院(後水尾天皇中宮・徳川秀忠の娘)建立。内部の三十六歌仙は、寛文期に近衛基煕(このえもとひろ)書・海北友雪(かいほうゆうせつ)画によるものです。
出典:平野神社公式サイト–
※拝殿と境内社の間には、見事な枝ぶりのしだれ桜。これが満開になるかと思うと…。
平野神社 本殿へのお詣り
平野神社の本殿へは、神紋の桜が描かれた提灯のある拝所にあたる中門からのお詣りになります。この日は小さな女の子がお母さんに教えられ、上手にお詣りしていました。
少し遠くから眺めていたのですが、鰹木・両端の千木は見受けられるのですが、間の千木がありません。春日造だなぁ、神様の性別わからないなぁ…なんて呑気なことを考えながら、中門前へ。
現在の本殿は4殿2棟からなり、いずれも「平野造」とも称される独特の形式の造りで、国の重要文化財に指定されている。
また本殿2棟に並んで南側には摂社縣神社1棟が鎮座し、これら本殿・縣神社3棟は玉垣で囲まれ、祝詞舎・中門を共有する。その中門は社記によると承応2年(1653年)頃の造営で、昭和12年(1937年)に改造を受けている。桁行四間・梁行一間、唐破風造で、屋根は檜皮葺。唐薬医門の後方に後世の改造で柱間三間分が追加された形式になる。この中門の左右には回廊が接続している。
出典:wikipedia-平野神社
1柱につき1殿というのは道理としてはあっているよなぁ…と大変失礼なことを思いながら中門の正面に立つと、上にはしっかりと彫刻が施されていました。彫刻があると、俄然テンションが上がる私。本蟇股に彫られているのは獅子でしょうか?虹梁の下には二羽の鳳凰らしき鳥をしっかりと見ることができました。
お詣りを終え、中門から続く回廊の隙間から本殿を拝見し、境内散策へと戻りました。
平野神社 春待つ桜と境内社
平野神社の本殿の横には、境内社の八幡社 春日社 住吉社 蛭子社と鈿女神社が並んでいます。伊耶那岐命(イザナギ)様と伊耶那美命(イザナミ)様の最初の子で、この神様方の子として数えられないこともある蛭子(ヒルコ)。蛭子社は初めてかもしれない…と思いながら、お詣り。境内社は比較的名前を知っている神様方だったので、少しホッとしました。
そしてまだまだ咲きそうもない桜の木。平野神社には早咲き〜遅咲きまで60種類近くの桜が植えられているということですが、しっかりと桜の品種が描かれた札が立てられています。好きな品種を見つけた時に名前を知ることができる、嬉しい配慮です。
この日も桜の神社らしく、10月桜が少しだけ咲いていました。
平野神社の桜は、かつて臣籍降下をした方々が自分の家に伝わる桜を植えたことから増えた、とテレビで見ました。敷地内に400本以上植えられている桜の中には鬱金桜や御衣黄桜などの珍しい桜も植えられていて、約1ヶ月に渡り様々な桜を愛でることができます。
平野神社 御朱印
平野神社で頂いた、御朱印。お守りなどの授与所とは別の吹きさらしにテントを貼った場所で書いて頂きました。暖かくなって来たとはいえ字を書くにはまだまだ寒い外気温の中、混雑回避して頂けるお気遣い、ありがたいことです。間紙が簡潔な由緒書きのようになっていたのも、嬉しいポイント。授与所にて、間紙ではない詳しい由緒書きも頂きました。
拝殿周りをぐるぐる3周程周り、西大路通り側へ抜けて帰路に着きました。この日は桜茶屋の用意なのか、床几に使われるのであろう板などの搬入作業が行われていました。
20年ほど前に夜桜を見に来たことがあります。桜茶屋だけではなく、境内一面で行われていた宴会。歩くのも大変だった覚えがあります。咲き始めてから一ヶ月程楽しめるという、平野神社の桜。すぐさま再訪しそうです。
※西大路通り沿いから。
※いつもの京都市の駒札は、西大路通り沿いにありました。
平野神社は全国高校女子駅伝の行われる西大路通り沿いにあります。以前、全国高校女子駅伝の際に、京都にある各県の県人会による振舞い餅を頂くことが出来ました(衛生上の問題で現在は行われていません)。
※2013年、娘ちゃんと全国高校女子駅伝の応援に訪れた時の平野神社。
お詣りを終えてふと思ったのは、南門の入り口以外、境内の門には狛犬さん達がいなかったこと。拝所の奥でしっかり守って居る姿は見かけたのですが、広さの割に狛犬さんたちが少ないのは、平安遷都以前の形を守って居るからでしょうか? それはそれで面白いなぁ、と思うのです。
2018年9月4日の台風被害【追記】
2018年9月4日、京都は大型台風の直撃を受けました。その後、各寺社がwebなどを通じて被害情報や参拝中止のお知らせ出したのですが、平野神社も大きな被害を受けた寺社の一つでした。
台風21号の被害が甚大なため、しばらくの間、境内の立ち入りを禁止いたします。
ご迷惑をお掛け致しますが、何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。 pic.twitter.com/nXJmeX0JYw— 平野神社 (@hiranojinja) 2018年9月4日
台風被害後、初参拝
台風被害後、初参拝となった平野神社。西大路通り沿いから見た限りでは、被害を受けたなんてことを感じさせない、大きなイノシシが描かれた絵馬が掲げられていました。

平野神社 20190114
西大路通り沿いから入ると、桜並木の中を歩いて本殿へ向かうことになるのですが、枝が切られているなぁ…という印象を受けました。台風被害のことを知らなければ、何も感じないかもしれないかもしれません。

平野神社 20190114
気になっていた、拝殿跡。工事用フェンスで覆われていました。拝殿が倒れた画像は見ていたのですが、現状どうなっているかはわからない状態で訪れた、今回。本当に何もなくなってしまっていて、言葉に詰まってしまいました。
歴史的価値があるとか神事を行う場だとか、色々な観点があるかと思うのですが、あったものがなくなってしまうという、わかっているけれど普段は意識していないことに直面すると、あることのありがたさをつくづく感じると同時に、拝殿がある状態の平野神社に何度も伺わせていただけていたことに、改めて御縁を感じさせていただいた今回の参拝。
そんな状態でも、今回も桜は咲いていました。桜の強さを信じたいと思う、平野神社です。

平野神社 20190114

平野神社 御所の旧門を下賜されたという南門 20190114
平野神社では、台風復興の支援を募っています。詳しくは公式サイトでご確認ください。

コメント