西院野々宮神社 概要
名称 | 西院野々宮神社 (さいいんののみやじんじゃ) |
別名 | 西四条斎宮 (にししじょうさいぐう) |
本社 | 西院春日神社 | 創建 | 不明 |
主祭神 | 倭姫命 布勢内親王 | ||
主なご利益 | 女人守護 心願成就 家内安全 | ||
所在地 | 京都府京都市右京区西院日照町55 | ||
最寄りの公共交通機関 | 阪急電鉄 西院駅→徒歩10分 京都市営バス 四条中学前→徒歩2分 |
・地元の人しか通らないような場所にある。
・神様に仕える前に身を清めた場所と言われるだけあり、極めて清浄な空間。
西院野々宮神社は西院春日神社の御旅所で境外社
住宅や小さな工場、会社などが並ぶ中にいきなり大木に囲まれた空間が現れるため、周囲との雰囲気が明らかに違う、西院野々宮神社。
西院野々宮神社は、西院春日神社の境外社です。
摂社・末社については、本社と同一の境内地で祀られている境内社と、境内地外で祀られている境外社といった区分もできます。
出典:神社本庁-境内の小さな神社について
そして、西院野々宮神社は、西院春日神社の御旅所でもあります。
御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が巡幸の途中で休憩または宿泊する場所、或いは神幸の目的地をさす。…(中略)…御旅所には神社や祭神にまつわる場所や氏子地域にとって重要な場所が選ばれている。
出典:wikipedia-御旅所
この御旅所、そのような言葉も場所も京都に住み始めてから目にするようになり、始めて知りました。
西院野々宮神社へ向かう時は、少しだけご注意を。
本社である西院春日神社と西院野々宮神社は、歩いて10分程。
googleでの検索では色々なルートが表示されましたが、主だった史跡はない場所なので、西院春日神社から向かう場合は四条通りを西に向かい歩くのが分かりやすいルートです。
西院野々宮神社 境内の様子
西院野々宮神社の境内はそんなに広くなく、必要のないものは全て省いたかのように、極めてシンプル、鳥居の下の狛犬さん達も見かけなかったように記憶しています。
鳥居を潜ってすぐの所、もとは鳥居か何かがあったのでしょうか? 束石のような、人工的なものが置かれていただろう跡がありました。
手水舎は水が出たままの状態、蛇口のカランの部分が取り外されていました。元は井戸としても使われていたのでしょう。井戸は埋められたのか蓋をされたのかは定かではありませんが、石が敷かれて釣瓶(つるべ)が置かれていました。
この蛇口から出ている水が井戸の水なのかどうか?はわかりません。
西院野々宮神社の周囲が開けていて木が自然のままで残されている場所が少ないため、大きな木が西院野々宮神社を守っているかのようでした。
西院野々宮神社 本殿へお詣り
西院野々宮神社の社殿。この玉垣(たまかき)を拝所と呼ぶべきなのか?本殿なのか?社殿と読んでしまえばいいのか?非常に悩ましいなぁ…と今でもわからないままです。写真では途切れてしまっていますが、こちらの玉垣に、西院野々宮神社の由緒書が掛けられていました。
ということで、玉垣の拝所からお詣り。芳名録が置かれていました。
玉垣の南側に廻ると本殿を見ることができました。本殿は千木鰹木の乗った神明造。この本殿祀られているのは、倭姫命(やまとひめのみこと)様と布勢内親王(ふせないしんのう)様。倭姫命様にお会いしたのは、初めてかもしれません。
記紀に伝える古墳時代以前の皇族。第11代垂仁天皇の第4皇女。母は皇后日葉酢媛命。天照大神を磯城の厳橿之本(笠縫神社、檜原神社比定)に神籬を立てて、垂仁天皇25年3月丙申、伊勢の地に祀った(現・伊勢神宮)皇女とされ、これが斎宮の直接の起源であるとも伝えられている。
出典:wikipedia-倭姫命(やまとひめのみこと)
平安時代に伊勢神宮の斎王に選ばれた皇女が伊勢へ赴かれるまでの間、心身を清められるための潔斎所である「野々宮」が築かれた聖地で、各地に残る「野々宮」の名称はこの地が発祥とされています。…(中略)…2柱の神様はともに、伊勢神宮に斎王としてお仕えされた方です。
出典:西院春日神社公式サイト-春日神社御旅所 西四条斎宮 西院野々宮神社
潔斎(けっさい)・・・法会・写経・神事などの前に、酒肉の飲食その他の行為を慎み、沐浴(もくよく)などして心身を清めること。物忌み。
出典:コトバンク-潔斎(ケッサイ)
西院野々宮神社に来て、極めて清浄な場所だと感じたのは、上記で出典した理由からかもしれません。
西院野々宮神社 御朱印
西院野々宮神社の御朱印は、本社である西院春日神社の社務所でいただくことができます。御朱印をいただいた時に神職の方とお話をさせて頂いたのは、今のような交通の便が発達していない時代、京都の地から伊勢まで出向くには、潔斎だけではなくそれなりに色々なもの・人・思いを断ち切って行く必要があっただろう…ということ。心身共に清めながら、色々な覚悟を決めた場所なのだろう、と思うと、新しくスタートを切る時に御守護をいただけそうな気がしました。
御朱印と一緒に由緒書きもいただきましたが、そちらに使われていた画像は西院野々宮神社の本殿と黒木鳥居と小紫垣が写った、昭和初期の写真を加工したものが使われていました。
それにしても出典の多用になってしまった、西院野々宮神社。調べて伺っても覚えきれないことがたくさんあります。まだまだ勉強不足です。
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