・社殿前には御礼参りに来た人がお返しした涎掛け。多くの人がご利益を頂けている証。
・隣に建つ六勝神社は、多くの神様に一度にお詣りできる神社。
敷地神社 概要
名 称 | 敷地神社 (しきちじんじゃ) |
通 称 | わら天神 はら帯の天神 |
創 建 | 不明 | 遷 座 | 応永4年(1397年) |
主祭神 | 木花開耶姫命 | ||
境内社/摂社・末社 | 六勝神社 綾杉明神 大山祇神社 八幡神社 | ||
主なご利益 | 安産 子授け 縁結び 子供の成長守護 必勝 成功 開運 商売繁盛(六勝神社) |
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所在地 | 京都市北区衣笠天神森町10 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス わら天神前 → 3分 |
わら天神さん初参拝。
京都市北区にある、わら天神さん。正式名称は敷地神社。わら天神こと敷地神社は西大路通りの上の(北の)方、西大路通りがカーブを描く辺りにあります。ちなみに、2019年1月現在、京都市営バス「わら天神前」停留所を降りてすぐの所にも神社がありますが、そちらは金攫八幡宮という、この近隣の産土神様です。(京都市営バスのバス停は時々数メートル移動することがあるので、「わら天神前」停留所がいつまで金攫八幡宮の前にあるかは不明です。)
そんな敷地神社。鳥居前にある神社名が彫られた石柱(石碑?)にも、敷地神社の名の上に、「わら天神」の文字、鳥居の扁額にも「わら天神宮」と書かれていました。
西大路通り沿いに立つ鳥居を潜り石畳の上を歩いて行くと、もう一つ鳥居があります。こちらは少し小さめの鳥居。こちらの扁額もやはり敷地神社とは書かれずに、「天神宮」と書かれていました。この鳥居を潜った左手に手水舎があります。勢いがいいという訳ではありませんが、常に水が流れている手水舎は奥の風景も合間ってとても清々しい雰囲気でした。
敷地神社(わら天神) 境内の様子
境内は綺麗に整備され、石畳が敷かれています。社務所辺りから見ると、一段高い位置に社殿が建てられています。そして、社務所の正面辺りには、大きくな舞殿。正面に「犬」「神」と書かれた看板(?)、中を覗くと格天井、舞台の上には奉納されたものと思しき酒樽が乗っていました。舞殿の西側にはお手洗いと休憩所もあり、リラックスして参拝できる雰囲気、この日も多くの人が休憩所を利用していました。
舞殿の正面から、綺麗に整えられた遊歩道のような庭のような場所があったのですが、立ち入りが禁止されていたため、入れませんでした。
敷地神社(わら天神) 一段高い、神様エリアへ。
鳥居から続く石畳の上を歩くと、正面に六勝神社、その西側(向かって左側)に敷地神社の本社が並んで建っています。
元々当地には、北山の神として葛野郡衣笠村に降臨した天神地祇が祀られていた。天長8年(831年)、この地に氷室が設けられ、その夫役として加賀国から移住した者が、崇敬していた菅生石部神社(敷地天神)の神を勧請し、北山の神の隣に祀って菅生石部神の母神の木花開耶姫命を祭神に定めたという。
応永4年(1397年)、足利義満が北山殿(後の金閣寺)を造営するに当たり、参拝に不便になったことから、両社を合祀して現在地に遷座した。
出典:wikipedia-敷地神社
平安時代に京都に勧請された神様といえば、平安遷都の時に奈良から〜という説明をよく見かけますが、加賀からというのは珍しいのではないでしょうか?この説明に出てくる加賀の菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)(敷地天神)、加賀国二宮という格式の高さで現在も存続しています。
主祭神の木花開耶姫命様といえば、敷地神社(わら天神)のご利益にも繋がるあの話。
コノハナノサクヤビメは一夜で身篭るが、ニニギは国津神の子ではないかと疑った。疑いを晴らすため、誓約をして産屋に入り、「天津神であるニニギの本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中でホデリ(もしくはホアカリ)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦、山稜は宮崎市村角町の高屋神社)の三柱の子を産んだ。
出典:wikipedia-コノハナノサクヤビメ
美人なことでも有名な木花開耶姫命様ですが、敷地神社(わら天神)でいただけるご利益は、安産・子授け・縁結び・子供の成長守護とされています。私がわら天神さんを知ったのも、私と同時期に妊娠した義従姉家族が「わら天神さん行って腹帯貰って来た」と話していたから。それくらい、京都では安産祈願=わら天神さん、という考えが浸透しています。
敷地神社(わら天神)本社→綾杉明神→大山祇神社
ということで、改めてお詣り。賽銭箱の柵に多くの涎掛けが掛けられています。これは全て、安産の御礼参りの際に持参されたもの、一つ一つに感謝の言葉が書かれています。階段手前に本社を詳しく説明した立札が立てられています。一緒に御朱印も印字されている、珍しいスタイルです。
本社の西側(左側)で本社を向いた扁額に綾杉明神と書かれた、木の根元。昔から神木として崇められていたこの木、このように祀られるようになった経緯などの説明がされていました。
本社西側で本社と同じように南を向き、綾杉明神を見守るように祀られているのは、大山祇神社。主祭神の木花開耶姫命様のお父さんである大山祇(オオヤマツミ)様が祀られています。お父さんが隣にいるというのは、心強いよなぁ…という素朴な感想。
大山祇神社へお詣りをし、そのまま本社をぐるりと一周すると、本社と六勝神社の間に出てたところで、小さな猪目(いのめ)模様を発見。つい、ハート♪と思ってしまいますが、あっ猪目だ!と毎回思い直します。
六勝神社と八幡神社
本社の横、鳥居の正面に建つのが六勝神社(ろくしょうじんじゃ)です。敷地神社の本社に比べると小さく控えめな社殿ですが、こちらにはなんと伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日六柱の神様が祀られているのだとか。一度にお詣りできると思うと、なんだかラッキーな気がします。六勝神社も階段下にしっかりと説明の立札があり、御朱印が印字されています。
六勝神社の東(右)側に、八幡神社。こちらもしっかり説明されています。明治の末年に大北山の原谷からこの地に遷座したのだそう。境内では最近来られた神様、となるのかもしれません。
どの社殿にもしっかりとした説明が用意されているので、お詣りをしていても迷うことがありません。また、身重の妊婦さんや小さな子供連れが多く参拝する、敷地神社(わら天神)なので、多くの神様にお詣り出来ると言うことも信仰を集めた理由の一つかもしれません。
敷地神社(わら天神) 御朱印2種
敷地神社(わら天神)で頂ける御朱印は2種類。本社前の説明札に印字されていた御朱印+丸いわら天神宮という朱印でした。間紙には簡単な説明がされているタイプでした。安産祈願を申し込む人が多いので、戌の日などは御朱印をいただ際、並ぶ必要があるかもしれません。
※御朱印は変更される可能性があります。
残念ながら安産祈願を申し込む必要がない私…。お守りとして頂けるという藁は未だに見たことがありません。この藁の節の有無で性別を判断すると言われているのですが。前述の義従姉は当たっていたそうです。
妊娠することがなくとも、縁結びや必勝祈願など多くのご利益が頂ける、敷地神社(わら天神)。1月〜2月末まで行われる西大路七福ご利益めぐりの一社でもあるので、ぜひ参拝して見てください。
わら天神さんも名を連ねる、西大路七福ご利益めぐり。西大路七福ご利益めぐりは移動距離は短く、期間は長く設定されているのが嬉しいポイント。◯◯めぐりの初心者の方にオススメです。
子授け・安産祈願はこちらの人気の神社でも。
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