・西国三十三所や京都七福神など、有名な霊場巡礼に指定されているお寺
・猫、ねこ、ネコー‼︎
行願寺 概要
正式名称 | 行願寺(ぎょうがんじ) | 通称 | 革堂(こうどう) |
山号 | 霊麀山 | 御本尊 | 千手観世音菩薩 |
開基 | 行円上人 | 宗派 | 天台宗 |
札所 | 西国三十三所第19番 洛陽三十三所観音霊場第4番 都七福神(寿老人) 神仏霊場巡拝の道第114番(京都34番) |
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所在地 | 京都府京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町17 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 河原町丸太町 → 徒歩約5分 京阪電車 神宮丸太町駅 → 徒歩約13分 |
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拝観時間等 | 8:00〜16:30 | 拝観料(通常) | ー |
大きな看板が出迎えてくれる革堂(行願寺)
京都市中京区。南北に走る寺町通、東西に走る竹屋町通との三叉路辺りに、遠くから見てもわかるほど大きく「こうどう」と書かれた看板があります。ここが革堂(こうどう)、行願寺。近くまで少し奥まった薬医門は周辺の建物に隠れて見えませんが、看板がしっかりとその場所を教えてくれています。
西国三十三所やお正月に行われる都七福神など4つの巡礼の札所になっているため、小さいながらも有名なお寺の1つです。
薬医門正面から。薬医門前に立った時点で、本堂の大きな提灯と立派そうな蟇股、境内に多く並べられた蓮の鉢が見えていて、心踊る光景となっています。
いつもの駒札は、薬医門手前右側に。
行願寺(革堂) 薬医門の中へ。
薬医門を潜るとすぐに天道大日如来と延命地蔵菩薩と書かれた祠があり、その後ろに手水舎があります。境内の大きさとは少しアンバランスさを感じる大きく立派な手水舎。渾々と水が流れていてとても心地よい手水舎は、本堂の重厚な造りにマッチしています。
薬医門の正面から見えた通り、革堂の境内はさほど広くはありません。ですが、非常に立派で重厚な造りの本堂。思わず見上げてしまう鳳凰、蟇股には立派な龍…も、鳥などから守るための網が掛けられています。本堂の前格子の開けられている所から覗くようにお詣り。前格子には「撮影禁止」と書かれていました。その上には奉納されたのであろう額や絵馬・御詠歌など…古くからの信仰の厚さに圧倒されそうなのですが、御本尊との距離が近いので、蟇股の写真も含めて諦めました。行願寺の本堂は京都市の有形文化財に指定されています。
さて。行願寺は京都市民には「革堂」という名の方が知られているのでは?と思うのですが、お堂のどこにも革が使われていないのに「革堂」と呼ばれるのには、以下の理由がありました。
『百錬抄』、『日本紀略』等によれば、行願寺は寛弘元年(1004年)、行円が一条小川の一条北辺堂跡地に堂を復興して行願寺と名付けたものである。一条北辺堂については、『日本紀略』永祚元年(989年)8月13日条に「一条北辺堂舎倒壊」とあり、行願寺の創建以前から存在したことが裏づけられる。当初の寺地は現在の京都市上京区、京都御苑の西方で、付近に革堂町、革堂仲之町、革堂西町の町名が残る。
行円は仏門に入る前は狩猟を業としていたが、ある時、山で身ごもった雌鹿を射たところ、その亡くなった雌鹿の腹から子鹿の誕生するのを見、殺生の非を悟って仏門に入ったという。行円はその雌鹿の皮を常に身につけていたことから、皮聖、皮聖人などと呼ばれ、それによって寺の名も革堂と呼ばれるようになった。
出典:wikipedia-行願寺–
行願寺の境内をのんびりと
本堂でのお詣りを終えたら、境内を散策です。最初にも書いたように、この日の境内は所狭しと蓮の鉢が置かれた状態。それぞれの鉢の蕾を探しながらの散策となりました。行願寺は薬医門と本堂の距離が近いため、境内は北に長く伸びた形となっています。
本堂の並びには庫裏があり、庫裏と向かい合う形で建つお堂。まずは愛染堂。その名の通り、こちらに祀られているのは愛染明王。毎月15日と30日が愛染明王の御縁日とされています。
愛染堂の隣には寿老神堂。多くの人がお正月にお詣りをする、都七福神の寿老神礼拝所としてお馴染み。
寿老人堂の横には新しい七福神が全員勢揃いで鎮座されていました。
行願寺の境内は砂利の中に石畳が敷かれていて、石畳の突き当たりに鎮宅霊符神(ちんたくれいふじん)堂があります。鎮宅霊符神とは、北辰妙見菩薩と言われています。妙見菩薩様…北極星を司る神様だけに、北にいらっしゃるのでしょうか?行願寺の鎮宅霊符神様は秘仏とのこと。そんな秘仏が祀られたお堂の手前で出迎えてくれたのは、とても人懐っこい猫。
鎮宅霊符神堂まで一定の距離で導いてくれました。この猫、そこそこ近づいても逃げません。
私がお詣りを終えるのを見届けた猫は、鎮宅霊符神堂の隣にある鐘桜(しょうろう)へ。鎮宅霊符神堂と鐘楼の間には餌と水が。耳が切れている所から、不妊・去勢手術を行われた野良猫なのかもしれません。鎮宅霊符神堂まで導いてくれた猫ともう一匹、真っ黒な猫が微動だにせず鐘楼の下で過ごしていました。
ちなみに、猫が寝ているこの鐘楼も京都市の指定有形文化財です。
鐘楼の横には宝篋印塔や百体地蔵、五輪塔、出世弁財天堂が並んでいました。実は私、宝篋印塔と五輪塔が少し苦手。こちらの加茂明神の石塔は真ん中の水輪がくり抜かれ、中には不動明王像があると知ってはいたのですが…少し遠くから手を合わせて失礼しました。
鎮宅霊符神堂辺りから見た、境内の様子。これだけの蓮が一度に咲き乱れることはないとは思いますが、もし一斉に咲いたのならば、ここは極楽浄土のようになるだろう…と思わずには居られない量。そんな咲くのを待つばかりの蓮で隠れていますが、皐月もまだまだ咲いていました。
行願寺の御朱印
行願寺で頂いてきた御朱印。本堂の横に設けられた授与所では、霊場巡拝の4種類の御朱印が掲載されていました。今回頂いたのは、洛陽三十三所観音霊場第4番の御朱印。力強い字で革堂と書かれています。霊場巡拝でなくても御朱印はいただけると思いますが、詳しくは授与所でお尋ねください。
蓮と猫のイメージが強く残った、行願寺。実は猫は境内にもう一匹いました。撮影出来ないくらい私から逃げていたので、今回は追いかけず。次までにもっと人に慣れてくれるといいなぁ…と思う、行願寺(革堂)でした。
【追記】2020年2月5日、再訪してまいりました。用意されている御朱印全てが霊場巡拝のものであることに変わりはなかったのですが、今回は「都七福神めぐり」の寿老神の御朱印も掲げられていたので、全部で5種類ありました。この寿老神の御朱印が何月まで頂けるのかはわかりません。
今回頂いたのは、西国三十三所巡礼のもの。霊場巡拝専用の御朱印帳ではなかったので「どれを頂けますでしょうか?」とお尋ねして拝受してまいりました。
冬だからなのかタイミングなのか…今回、革堂に猫は1匹しかおらず…しかもものすごく上手に逃げられてしまいました。残念。
2024年06月、予定外で立ち寄った際に頂いた御朱印。2024年6月4日までとのことでいただきましたが、予定外で綺麗に持って帰れず…反省です。
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