猿田彦神社 概要
名称 | 猿田彦神社 | 創建 | 平安時代(詳細不明) |
主祭神 | 猿田彦大神 | ||
境内社/摂社・末社 | 大国主命 秋葉明神 稲荷大神 | ||
主なご利益 | 道ひらき 防災 招運 開運 交通安全 | ||
所在地 | 京都府京都市右京区山ノ内荒木町3 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京福電気鉄道(嵐電) 嵐山本線 太秦天神川駅 → 6分 / 山ノ内駅→ 7分 京都市営バス 庚申前 → 4分 京都バス 庚申前 → 2分 |
複合信仰の名残を感じる 猿田彦神社
猿田彦大神は私の中で、かなり昔に名前を知った神様の一人です。キッカケは実家にあった手塚治虫さんの漫画『火の鳥』。高校生だった当時、有名な神様を描いているとは全く知らずに読んで居たのですが、猿田彦=鼻が大きいというイメージだけはこの頃にすっかり定着しました。
そんな親しみ深い猿田彦大神を主祭神として祀る、京都の猿田彦神社。こちらの猿田彦神社は、山ノ内庚申とも言われ、日本古来の複合信仰の名残が多く残っている神社です。
猿田彦神社、参拝スタート!
三条通沿いの猿田彦神社。猿田彦神社が無ければ、三条通はカーブしなかったのではないか?と思うほど、三条通の延長上に苔生し始めた鳥居があります。三条通を東から西へ向けて向かうと、見落とすことはないでしょう。
写真ではしっかり掲げられている、猿田彦神社の扁額。大阪北部地震と大雨の後、扁額が落ちてしまっていました。地震か大雨、どちらかの影響を受けたのかもしれません。
※猿田彦神社扁額 2018年06月17日 撮影
鳥居を潜った左手(南側)に、手水舎があります。こちらの手水舎、ほとんど水が出て居ない状態でしたが、手水鉢の水が濁っているなどということはない状態でした。
猿田彦神社の境内社と社殿
猿田彦神社の鳥居の正面辺りに境内社が2社並んで居ます。朱色の鳥居の奥、稲荷社と秋葉社です。御祭神は社名の通り、稲荷大神様と秋葉明神様。
秋葉様は京都ではあまり見かけないというか、お詣りした覚えがないかもしれない…と思いながらのお詣り。他府県で育った私にとっては「火の用心=秋葉様」なのですが、京都では愛宕神社の「火迺要慎」のお札を見かけます。もしかしたら、愛宕神社が火から守る京都には秋葉様を祀る神社(境内社)は少ないのかもしれません。
この赤い鳥居の左手(南側)に、非常に長い由緒略記が用意されています。こちらの由緒略記、授与品などの説明もされていて、読み終わるのにはそこそこの時間が必要です。参拝の後に訪れた山王神社で頂いた由緒略記と同じ内容です。
猿田彦神社の社殿。苔で変色してしまった狛犬さんたち。ここまで綺麗に苔色に染まった狛犬さんたちも珍しいと思うのですが、苔生して居る割に古さは感じませんでした。
社殿で上を見上げたところ、蟇股には座った猿が。「ちょこんと座った」という言葉が似合う、蟇股の猿。表情まではわかりませんでしたが、子猿のような雰囲気があります。手にも笏のような物を持って居るように見えました。
平安期、最澄が座禅のために霊窟を求めて探して歩いていたところ、猿田彦神が現れてこの地を示ししため、座禅石の傍らに猿田彦神を祀ったことを創祀の始めと伝える。
出典:京都観光オフィシャルサイト 京都観光Navi 猿田彦神社
史実はわかりませんが、この猿田彦神社のある山ノ内は、比叡山の寺領だった場所。最澄と言えば比叡山延暦寺の開祖、そんな縁で最澄が訪れたのかもしれません。
京都で主祭神に猿田彦大神様を祀る神社は3箇所しかない、という話(真偽不明です)を聞いたことがあります。有名な神様なのに境内社として多く見かけるのは、その神様のご利益の方向に導く為かもしれません。
※蟇股の猿
社殿の左(南)側には、庚申楠と境内社の大国主社があります。この庚申楠は区民誇りの木に指定されている、大きな楠、幹回りは360㎝以上です。大国主社の前には竿と鯛を抱えた恵比寿様らしき石碑が置かれていたのですが、親子説があるからでしょうか?由緒略記には恵比寿様の名前はなかったので、どなたかが最近奉納されたのでしょうか?比較的新しいものでした。
社務所と境内社の奥、修験ゾーン(?)
境内の奥に、石像が集められた場所があります。役行者尊を始めとした仏教界に縁の深い方々。横にはそれぞれを説明していると思われる札がありました。炎のような形の光背を背負った役行者像と炎を纏わない不動明王像。不動明王像の後ろには炎の光背と思い込んでいたので、最初は逆じゃないか?と思ってしまいました。
御社殿はもと安井村松本領にあって、境内には山伏修験者の行場があり、愛宕参りをする人は滝に打たれ身を清めて参詣したものである。
出典:猿田彦神社 由緒略記
社殿横の由緒略記で先に読んでいたので、神社の中の仏様にも疑問を持つことなくお詣りさせていただきました。
京都三庚申の庚申って?
実は境内に入ってすぐの所に、拝殿とも舞殿とも取れる建造物があります。その手前には、初庚申の時に護摩が焚かれる為の場所がキープされていました。初庚申とは、その年最初の庚申の日のこと。
「三庚申」とか「庚申」と紹介されている京都の猿田彦神社ですが、「庚申」と言われても、現在私たちが日常暮らす中ではあまり聞く言葉ではありません。
庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。
出典:wikipedia-庚申信仰
猿田彦神社の境内で護摩祈祷が行われたり石仏が置かれていたりという状態が残っているのは、この庚申信仰が今も残っているから、という一言に尽きます。
庚申祭りは、平安時代より、十干十二支の庚申(かのえさる)の日に祀り、江戸時代に至り、庚申待、庚申講と言い村人が集まり猿田彦大神、青面金剛のお軸を掛け七種の供物を捧げて夜を明かして萬福招来を祈願したのである。
現在も当社では六十日に一度の庚申日にお祭りをしている。新年初めの庚申初日には、近郷近在より除災招福を祈り参詣する信者はあとをたたない。出典:猿田彦神社 由緒略記
拝殿の上には白い猿の絵。こちらの白い猿は、台風で倒れた神木で倒れたもので作られたものだそう。祭祀の際には実物を見せていただくこともできるそうです。
猿田彦様のサル、庚申のサル、申年生まれの方や申年にはぜひお詣りしたい、猿田彦神社です。
猿田彦神社周辺は歩道が狭いです。
京都の猿田彦神社は毎回自転車で向かうのですが、猿田彦神社は京都市内でそこそこ交通量が多い三条通沿いにあります。この三条通り、東は山科〜西は嵐山の渡月橋と、かなり長く京都を貫いています。
東は山科区四宮から西は右京区の嵐山(渡月橋)に至る。
(…中略…)
西は、西大路通から葛野大路通までの京福電気鉄道嵐山本線(嵐電)の併用軌道が敷設されている区間を越えると北西に進み、旧二条通(太子道)と合流すると再び西に向かい、太秦(広隆寺前)、帷子ノ辻を経て、桂川左岸で罧原通と合流し嵐山(渡月橋)に至る。
出典:wikipedia-三条通
猿田彦神社の横を走る三条通は、市内中心部から太秦・嵐山方面への抜け道+車線数が変わる+カーブ+歩道が狭い、という条件が重なった場所にあります。歩道は北側に1人分程の幅しかなく、普段好き放題自転車を乗り回している私でも、非常に用心深くなる場所です。地図やスマホのマップ検索などを確認したり、複数の人で向かう際は、十分ご注意ください。
また、境内は一部が駐車場として利用されています。昼間の出入りは少ないようですが、境内への自動車の乗り入れがあります、ご注意ください。
※猿田彦神社横三条通の北側歩道から。
御朱印好きさん、ご確認ください。
猿田彦神社の御朱印。扁額と同じ文字をスタンプにしたものと墨書きです。猿の字が特徴的です。
猿田彦神社の御朱印と由緒略記は、山王神社の社務所で頂きました。
山王神社の社務所が開いている時間は、平日〜土曜日の10:00-15:00、日曜祝日は開いていませんのでご注意ください。
猿田彦神社には過去何度か訪れていますが、境内の社務所が開いている時には出くわしたことがありません。例祭(10月第3日曜日や庚申祭(年6回の庚申日)には開いていると思われます、授与品などをお求めの際は、カレンダーをご確認の上お詣りください。
境内の南側を嵐電が走っているため、時々「カンカン…」という、近くの踏切の音が聞こえてきます。この辺りは路面電車ではない区間になりますが、すぐ側を走る嵐電。踏切の音がしたら、三条通りの反対側を見てみてください。
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