・仏像が彫られた灯篭
・境内に置かれた可愛い置物
積善院(積善院凖提堂)
名称 | 積善院 (しゃくぜんいん/せきぜんいん) |
通称 | 凖提堂/五大力さん/稱ノ坊 (じゅんていどう/ごだいりきさん/なぎのぼう) |
御本尊 | 凖提観世音菩薩 不動明王 |
脇侍/安置仏 | 役行者 阿弥陀如来 |
開基 | 不明 | 宗派 | 本山修験宗 |
所在地 | 京都市左京区聖護院中町14 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 熊野神社前下車 → 徒歩約6分 京阪電鉄 神宮丸太町駅 → 徒歩約14分 |
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拝観時間等 | 9:00~16:30 | 拝観料(通常) | 無料 |
積善院は聖護院門跡のすぐお隣
京都市左京区にある、積善院さん。聖護院門跡の隣にある、聖護院の塔頭です。前を走る通りから見ると、聖護院門跡から続く定規筋、道路沿いの生垣が一つながりになっているので、遠目には別の寺院だとはわかりにくいかもしれません。
積善院凖提堂の境内の様子
お伺いしたのは、聖護院門跡の特別拝観の後。
拝観時間ギリギリの16時過ぎ、秋の夕日が強い日でした。拝観時間終了直前だったこともあり、貸切の境内は静かで少し物悲しさを感じるほどでした。
積善院現在の本堂
境内に入ってすぐに目にするのは、拝殿の様な休憩所の様な建物。お寺で拝殿ってあったっけ…?という思いはあるものの、本山修験宗のお寺故神仏習合の名残なのか…詳細がわからないため、なんと呼んでいいのかもわかりません。現在は椅子とテーブルが置かれ、ちょっと一休みさせていただくのにピッタリなスペースになっています。
積善院の本堂。木鼻の象の鼻がとても立派です。
積善院は鎌倉時代1200年頃の創建とされ、江戸時代建立の凖提堂と明治の初め合併され、積善院凖提堂とも呼ばれる。
本堂には重要文化財の木造不動明王像と光格天皇勅願による凖提観音像が祀られています。御本尊が2体なのは合併されたからでしょうか?
元積善院本堂
本堂の横に、少し小さなお堂があります。こちらは積善院の元本堂。現在は役行者像と阿弥陀如来像が安置されています。お堂前の灯籠にはしっかりと「役行者」の文字が見えます。境内に大きな桜の木があり、この日は枯葉が杉苔の上に綺麗に落ちていました。
このお堂の横の白い壁で聖護院と区切られているのですが、大きな木製の戸になっている場所があり、節分祭の時などは聖護院との間を境外に出ることなく行き来することが可能となっています。
お俊伝兵衛恋情塚と人喰い地蔵
積善院の本堂と元積善院本堂の間に、奥へと続く石が敷かれています。その石に導かれるまま奥へと進むと、まず左手にお俊伝兵衛恋情塚があります。このお俊伝兵衛恋情塚の左側の灯篭、詳しくはわかりませんが、仏像が彫られています。この手の灯篭を見るとつい、「マリア灯篭かな?」と思ってしまうのですが、積善院凖提堂の灯篭は光背がある上に蓮座に座っていらっしゃるように見えるので、仏像で間違い無いかと思われます。
置かれた石をまっすぐ進むと、正面左奥に「人喰い地蔵」と言われるお地蔵様。一見怖い逸話でもありそうなお名前ですが、こちらは崇徳天皇を祀ったと言われるお地蔵様。すとくいんすとくいん…ひとくい、と変わったと言われている、なんとも関西人らしいというか気の毒と言うか…そんな経緯を経て「人喰い」と呼ばれている崇徳院地蔵様。
積善院凖提堂の五大力尊法要は2月23日
積善院凖提堂で2月23日に行われる、積善院五大力尊法要。この日は積善院凖提堂が保有している秘仏五大力菩薩が一日だけ開帳され、法要が催されます。大般若経転読法要や柱源護摩供養(はしらもとごまくよう)が行われるとのこと。貼られたポスターの「聖護院内凖提堂」の文字に、聖護院との深い関係が伺えます。
積善院さんでいただいた御朱印
積善院さんでいただいた御朱印。御本尊様、光格天皇勅願による凖提観音様の御朱印。授与所でインターホンを押し、若いお嬢さんに丁寧に御対応いただきました。由緒略記等をお伺いするのを忘れてしまったのですが、記載等はなかったので、用意されているかどうか?はわかりません。
参拝している人は多いのですが、本やweb上での情報が少ないお寺であることは間違いなく、詳しいことはわからないまま。あっさりとした参拝となってしまいましたが、詳しくわかるまで時々訪れたいな、と思ったお寺です。鎌倉時代からと言われている以上、色々な歴史がありそうです。
積善院の前には、通りを挟んで須賀神社があります。こちらはこちらで濃い神社さん。ぜひ一緒にお詣りを。
聖護院門跡・積善院凖提堂と須賀神社の間の道をそのまま東(大文字が見える山の方)に向かうと、くろ谷・金戒光明寺の高麗門に辿り着きます。
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