・本殿を覆う覆屋の大きさ
・祠のない境外社
菱妻神社 概要
名称 | 菱妻神社 (ひしづまじんじゃ) |
創建 | 不明 |
主祭神 | 天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと) | ||
境内社(相殿) | 磐裂(石神) 加茂社 春日社 蛭児社 松尾社 稲荷社 | ||
境外社(祠なし) | 走田社 簀原社 茨田社 | ||
主なご利益 | 五穀豊穣 家内安全 | ||
所在地 | 京都府京都市南区久世築山町367 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 築山停留所 → 徒歩約10分 京都市営バス 久世工業団地前 → 徒歩約8分 JR東海道本線(京都線) 向日町駅 → 徒歩約28分 JR東海道本線(京都線) 桂川駅 → 徒歩約30分 阪急電車京都本線 東向日駅 → 徒歩約35分 |
菱妻神社(南区) 桂川のほとりの神社へ
流れと勢いで参拝することになった、京都市南区の菱妻神社。京都市内とは言え、最寄駅は向日市の方が近いという、京都市の端の方に位置する菱妻神社。
参拝を決めたものの位置関係などに詳しくないこの辺り、Googleマップ片手に辿りついたのは、桂川に架かる祥久橋の登り口の下。橋を祀っているかのような大きな鳥居がお出迎えです。
写真ではわかりにくいのですが、鳥居の向こうに赤い鳥居が見えたため、そのまま前進。
倉庫のような会社のような建物の前を進むと、赤い鳥居に辿り着きました。この時点でもまだ、菱妻神社らしき建物は一切見えていません。
赤い鳥居を潜り、そのまま道なりに進み、行き過ぎかけたところに菱妻神社の石柱。振り返るとそこに、菱妻神社がありました。どうやら私が潜った2つの鳥居は、社殿の後ろ側に建てられていたもののようです。
菱妻神社 境内の様子。
境内は広さに反して何もない印象。手水舎(工事中)と拝殿(舞殿かも)の他は見当たりません。地面には駐車位置を示すロープが貼られ、周囲は草が生えた状態でした。
拝殿は新しく、真ん中に電気が備えられているという、なかなか珍しいスタイル。奉納絵馬等は見かけませんでした。手水舎は2019年4月現在工事中。
遠目から見た時になんとなく気が付いてはいましたが、社殿は大きな覆屋で囲われ、塀でぐるりと囲われた状態。覗きながらの参拝となりました。
真ん中に本殿、本殿の両脇に三社・三社の境内社が有りましたが、向かって右側の三社のうちの社殿に一番近い一社が壊れているのか何なのか…扉が閉まっている通常の状態とは違う状態でした。
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)をご祭神とする当社は九世紀中頃には存立し延喜式神名帳に記載の簀原大明神(すはらだいみょうじん)が前身とされている。 しかし詳細は明らかではない。
古文書によれば、十二世紀はじめ簀原の地に建立された火止津目大明神(ひしづめだいみょうじん)が桂川の大洪水で流出し、下流の久我の地に再建された。 当社は流出の跡地に簀原大明神を奉じて鎮座したものと思われる。 十三世紀頃社名を乙訓坐火雷神社(おとくににいますほのいかづちじんじゃ)に、十六世紀頃菱妻神社に変更したとされる。
五穀豊穣、家内安全にご神徳が厚い。
境内に相殿で磐裂(石神)、加茂、春日、蛭児、松尾、稲荷の各末社が、境外に祠はないが走田、簀原、茨田の各末社がある。
御旅所に神輿のほか天狗面、木槍を所持する。
祭礼は現在五月第一日曜神幸祭、第二日曜還幸祭のほか、一月歳旦祭、二月年當、八月御千度を行なう。
出典:菱妻神社 境内 本殿前設置の案内板より
この説明通りだとすると、三社・三社の内の右側の一番社殿に近い一社は、磐裂(いわさく)かもしれません。また、境外に祠がない末社があると言うのも、なかなか興味深い話です。ですが、境外社の情報や御旅所の情報を示すものは一切見当たりませんでした。例祭の時に出向いたら、御旅所などの情報はわかるかもしれません。
参拝を終えて振り返ると猫が。なかなか警戒心が強く、かなり離れた状態を維持しようとしていました。それでも立ち去ることなく見送ってくれました。
菱妻神社の御朱印
菱妻神社の御朱印は、綾戸國中神社でいただくことができます。
境内でいただくことが出来るのは、元旦のみだそう。1月中に乙訓鎮座神社巡りの21社を巡ると、記念品も頂けるそうです。この乙訓鎮座神社巡りには、伏見区にある菱妻神社も名を連ねています。同じ名前の神社が2社近所にある、ということも、なかなか興味深いポイントです。
近くには、奥様である木花之佐久夜毘賣(木花開耶姫命)を主祭神として祀る木下神社があります。木下神社の御朱印は菱妻神社と同じく綾戸國中神社で頂くことができます。
公共交通機関で出向くには、ちょっと不便な場所にある菱妻神社。自動車で大阪方面から国道171号線から京都に向かう場合は、立ち寄りやすい立地条件です。
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