繁昌神社 概要
名称 | 繁昌神社 (はんじょうじんじゃ) |
創建 | 延喜年間(901年-922年) |
主祭神 | 宗像三女神 (田心姫命 湍津姫命 市杵島姫命) | ||
境内社/摂社・末社 | 不明(境内にそれらしきものはなし) | ||
主なご利益 | 悪縁を切り 良縁を結ぶ、商売繁昌、家内安全、諸芸成就、良縁成就 | ||
所在地 | 京都府京都市下京区繁昌町308 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 烏丸松原→北西へ230m 京都市営地下鉄 五条駅→北西へ約550m 京都市営地/阪急烏丸駅 四条駅→南西へ約300m |
繁昌神社 通り過ぎてしまいそうに街に溶け込む神社
・京都の公共交通機関の要、四条烏丸交差点から徒歩数分。
・徒歩圏内に多数の寺社あり。
・京都の早咲き桜の名所の正面。
京都市の交通、ビジネスの中心地である、四条烏丸駅から徒歩数分のところにある、繁昌神社。東西に走る四条通りと五条通りの間の唯一の2車線である、高辻通り沿いの北側に鎮座されています。
この辺りは呉服問屋街と言ってもいい地区です。京都の経済は呉服問屋さんが支えていた、と言われることもあるほど。昔からずっと商売の中心地だったと言っても良いのではないでしょうか?
京の弁財天 繁昌神社
京都駅前後にまっすぐ南北に走る、烏丸通り。烏丸通りと高辻通りが交差する交差点の北側を西に歩くとすぐ、繁昌神社の看板が見えて来ます。
※高辻通り南側から。
町名になるほど昔からこの地にあったのでしょう。境内を囲む塀には、「京の辨財天 繁昌の宮」と書かれています。その名の通り、御祭神の一人には市杵島姫命様が含まれています。
後の時代の神仏習合においては本地垂迹では弁才天に比定され、同神とされた。
出典:wikipedia-イチキシマヒメ
宗像三女神としてのご利益は、航海の安全や交通安全であることが多いのですが、どちらかというと辨財天様としてのご利益が強く打ち出されている感もします。
京都市の駒札には「牛頭天王の妃、針才女(はりさいじょ)を祀り、それが転訛(てんか)し班女となったと伝える」とあります。牛頭天王の妃は頗梨采女(はりさいじょ)と書いた気がしますが、諸説あるのでしょう。牛頭天王といえば祇園にある八坂神社にいらっしゃる神様。距離的にこの辺りで妃が祀られていてもおかしくはない話です。
たどり着くとわかるのですが、大人が5人も入ればいっぱいになってしまうほど、小さな神社。伺ったこの日も、私の後で2人組のご夫婦らしき方が参拝に来られたので、いそいそと退散しました。
宗像三女神はカップルでお詣りすると嫉妬する、嫉妬して別れさせる、などの噂もありますが、実際はどうなんでしょう?夫婦だと大丈夫なんでしょうか?基本的に一人で参拝しているのでその辺りの経験がなく、わかりません。
悪縁を断ちさらなる良縁を結んでくださるなら、それもアリですが、別れに辛さや痛みが伴うのはちょっと身構えますね。ちょっとだけ、ですが。
繁昌神社 再訪
2018年、節分の日。再び繁昌神社を訪れました。
その際、節分の福豆のお下がりが置かれていました。お賽銭箱に志納を納め、頂戴いたしました。社務所が開いていなくても感じられる心遣いが非常にありがたいです。
繁昌神社 御朱印
繁昌神社の御朱印は、用意されたお賽銭箱にお金を入れて、書き置きのものを自分でいただく形式。日付は自分で入れる必要がありますが、月までは書かれていて、日の上が開けられていました。一枚一枚袋に入れられていて、心遣いを感じます。
※御朱印と節分の福豆が入れられていた和紙。小分けの袋に入れられた上で紙袋に入れられていました。
繁昌神社がある高辻通りは、四条通りと五条通りの間にある唯一の2車線の通り。昔から四条通りの渋滞を避ける車が多く通る通りです。歩道がしっかり整備されている上に周辺には寺社も存在しているので、街中のちょっとした散策に最適です。
一本南の松原通りと高辻通り沿いは京都市民の抜け道。高辻通りは自動車が、松原通りは自転車が多い通りです。気をつけてお詣りください。
桜の季節は特別。
繁昌神社の前には旧成徳中学校(きゅうしょうとくちゅうがっこう)があります。ここは京都では有名な早咲きの桜がある場所として有名です。現地で説明されていますが、旧成徳中学校前に植えられているのは足利桜という品種だそう。2023年、3月に入り一気に暖かくなった京都。
そのまま暖かい日が続いたおかげで一気に満開になりました。京都の桜シーズンの始まりを告げるよう旧成徳中学校の足利桜が見られる春がオススメの繁昌神社です。
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