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観音寺(東向観音寺) 菅原道真公が作った御本尊を祀るお寺

観音寺(東向観音寺) 概要

名称 観音寺(かんのんじ) 別称 北野 東向観音寺(きたの ひがしむきかんのんじ)
山号 朝日山 御本尊 十一面観世音菩薩
開山 賢璟法師 宗派 真言宗泉涌寺派
所在地 京都市上京区観音寺門前町863
最寄りの公共交通機関 京都市営バス北野天満宮前 → 徒歩約2分
京福電気鉄道 北野線 北野白梅町駅→ 徒歩約9分
拝観時間等 9:00~16:30 拝観料(通常) 無料

北野天満宮の神宮寺、観音寺

北野天満宮の梅花祭の日、参道から見かけた観音寺。

北野天満宮 2月25日の天神さんに行ってきました。<2018年>
数年足が遠のいていた、北野天満宮の天神さんの日(25日の縁日)。2月は梅花祭も行われるし、梅花祭野点大茶湯もあるし、今年は日曜日だし梅が咲いて居たら梅園も〜♪と気軽に出向いたところ、歩くのにも困るほどの人人人! さすが、天神信仰の本拠地、色々お見事でした。

北野天満宮の参道の横(西側)にあるので、参道から向かうことができます。位置的には二の鳥居辺り。平野神社へのお詣りのあと、参拝の人が落ち着いた頃を見計らってのお詣りです。

観音寺 文化財説明の駒札 20180225

観音寺 文化財説明の駒札 20180225

東向観音寺 駒札 20200323

東向観音寺 駒札 20200323

東向観音寺の山門には逸話があります。

2018年2月25日の本堂・礼堂は撮影禁止のピクトグラムが室内に置かれていました。構造上、お堂の中が丸見えな状態になるため、戸が開けられている時は撮影禁止にされているのかもしれません。京都市の駒札の1/4ほどをかけて説明されている、本堂と礼堂の建築手法。こちらの本堂と礼堂は京都市の有形文化財に指定されています。そんな本堂と礼堂の造り、公式サイトでは以下のように説明されていました。

桁行三間梁間三間一重入母屋造・本瓦葺の本堂と、その前方に桁行三間梁間三間一重入母屋造・本瓦葺で元禄7年(1694)建立の礼堂を造り合いで繋ぎ、権現造りのようにしている。

出典:北野東向観音寺 公式サイト本堂・礼堂

建築に詳しい人ならわかるかもしれませんが、私には言葉だけで理解するのは不可能でした…。ただ正面に立つと、壁一面が開かれていて、多くの仏像が祀られていることが一目瞭然、明るかったら奥の角まで見渡せてしまえそうだという印象を受けました。

947年菅公(菅原道真/天満大自在天神)廟をこの地に移し、1596年無人如導堂宇を再建した。本尊十一面観音は菅公自作の尊像を961年筑紫観世音寺より招来したものである。

元、西向及び東向の二堂あったが、西向堂は既に廃絶し、東向の堂が残るのみである。

出典:wikipedia-東向観音寺

もし本当に菅原道真公が筑紫でこの十一面観音様を彫ったのならば、何を思いながら後ろの暴悪大笑面を彫ったのだろう…?誰の悪に怒り極まったのだろう?誰の悪行を笑い滅したのだろう?と思うと、なかなか感慨深いものがあります。(※ちなみにまだ暴悪大笑面は実際に見たことはありません。)

さて、この東向観音寺の御本尊、秘仏とされていて、25年に一度の御年祭の年にだけ拝顔することが出来ます。次の御開帳は、2027年の1125年祭。まだしばらく先です。

本堂向かって左側には賓頭盧(びんずる)様が。あちこちで出会う賓頭盧様、夏も冬もずっと外にいらっしゃいます。ありがたい限りです。東向観音寺の賓頭盧様は顔立ちのはっきりとした賓頭盧様でした。
本堂がしまった状態だった2020年3月23日。撮影禁止のピクトグラムは見当たりませんでした。やはり本堂が開いている状態での撮影が禁止されているようです。

東向観音寺 本堂 20200323

東向観音寺 本堂 20200323

東向観音寺 境内の様子。

岩雲辨財天社。辨在天様周辺の玉垣の数。小さなお社ですが、この玉垣の数がこの弁財天様のお力を証明しているかのよう。お寺の中の唯一の神様だったので、鎮守様かしら?と思って居た所、公式サイトにもそのような記載がありました。

当寺の鎮守神で、豊臣秀頼が本堂を再建された時に奉納された弁財天である。

出典: 北野東向観音寺 公式サイト岩雲弁財天

東向観音寺 岩雲弁財天

東向観音寺 岩雲弁財天

本堂・礼堂の側(左手)の建物、行者堂。行者というだけあり、こちらに祀られているのは役小角(役行者/神変大菩薩)。神社の境内の横のお寺で修験道の開祖が祀られているという、濃い感じ。

東向観音寺 行者堂 20180225

東向観音寺 行者堂 20180225

行者堂の西側(後方)にある伴氏廟(ともうじびょう)と土蜘蛛塚。土蜘蛛の話は、能の題材にもなっています。

伴氏廟は、非常に大きな石造の五輪塔。菅原道真公のお母さんのお墓と言われています。

境内には菅公の生母大伴氏の墓所がある。

出典:wikipedia-東向観音寺

東向観音寺 土蜘蛛塚と伴氏廟

東向観音寺 土蜘蛛塚と伴氏廟

境内には延命地蔵様や白衣観音堂があります。大明国の陳元贇(ちんげんびん)禅師により寄進された白衣観世音が祀られている、白衣観音堂もこの日は撮影禁止となっていました。この白衣観世音菩薩様、子授け祈願のご利益があるそうで、多くの絵馬がかけられていました。

東向観音寺でいただいた御朱印

東向観音寺で頂いた御朱印。伺った日は北野天満宮の梅花祭の日だったため、礼堂にあたるであろう部分で書いて頂きました。若干薄めの色目が手で磨られた墨かと思われます。外に面した場所で書いていただくだけでもありがたいのに、その手間に感謝の思いが増しました。それなのに、いただいた覚えのある間紙が見当たらず…非常に申し訳ないような、もう一度出向きなさい、ということだろうと思います。

東向観音寺 御朱印 20180225

東向観音寺 御朱印 20180225

洛陽三十三観音巡礼を始めたので、再訪しいただいた御朱印。朱印が違います。

東向観音寺 洛陽三十三観音巡礼御朱印 20200323

東向観音寺 洛陽三十三観音巡礼御朱印 20200323

以前、神社に行く前にお寺にお参りすると良い、という話を聞いたことがあります(諸説あると思います)。参道横に関係深いお寺がある、ということは、東向観音寺→北野天満宮というルートがオススメなんだろうな、と思わずにいられなかった、東向観音寺でした。

東向観音寺 正面の梅 20200323

東向観音寺 正面の梅 20200323

東向観音寺から北野天満宮を突き抜け、平野神社へはすぐです。

404 NOT FOUND – 京都どこ行く?
徒歩・自転車・公共交通機関で巡る、京の寺社+α

北野東向観音寺 公式サイト(作りかけ?)はこちら↓

windows98時代調の公式サイトは、かなり味があります。

洛陽三十三所観音巡礼に関しては公式サイトをどうぞ。

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