護王神社 概要
名称 | 護王神社 | 創建 | 不明 |
主祭神 | 和気清麻呂公命 (わけのきよまろこうのみこと) 和気広虫姫命 (わけのひろむしひめのみこと)(和気清麻呂公の姉) |
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配祀 | 藤原百川公命 (ふじわらのももかわこうのみこと) 路豊永卿命 (みちのとよながきょうのみこと) |
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境内社/摂社・末社 | 警察消防招魂社 久爾宮霊殿 祖霊社 伊勢神宮遥拝所 | ||
主なご利益 | ・足腰の健康・病気怪我回復 ・亥年生まれの守護 ・厄、災難除け ・子育て、子供の成長の守護 |
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所在地 | 京都府京都市上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町385 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営地下鉄 烏丸線 丸太町駅 → 徒歩6分 / 今出川駅 → 徒歩9分 京都市営バス 烏丸下長者町 → 徒歩すぐ |
・手水舎の猪像の鼻を撫でて! 幸せが訪れる「幸運の霊猪像」
・駐輪スペースが用意されている。
護王神社、境内に入る前から拝観スタート⁉︎
京都御所の西横にある、護王神社。京都御所と護王神社の間には、烏丸通という京都のメインストリートが南北に走っています。烏丸通沿いの門を素通りし、喜多門から入り右手の駐輪スペースに自転車を止め、改めて烏丸通沿いへ。
護王神社を囲む木の塀には、外からでも歴史や見所がわかるようにパネルが展示されていて、その内容は多岐に渡っています。じっくり読んだつもりはないのですが、10分以上はかかったかもしれません。このパネルは鳥居まで延々続くのですがこちらの御祭神の和気清麻呂公が十円紙幣に使われていた、ということで、お札の写真と説明が多く見られました。
お札にあまり興味がない方は、下の写真の一番左にある「いのしし神社のおはなし」だけ読めばあとは気になった写真の説明だけでも大方OKかもしれません。
この「いのしし神社のおはなし」、漢字を読むことができれば、小学生くらいからわかるような内容に仕上げられています。
御所の隣で京都のメインストリートということもあり、交通量・歩行者・自転車の多い烏丸通。鳥居を正面から撮影するのは諦めました。全体像を撮影したい方は、烏丸通を東側に渡った京都御所の前から道路越しに撮影すると、鳥居周辺の全体像が捉えられると思います。自動車の切れ間を縫って撮影することになると思うので、少し気長に待って見てください。
※いつもの京都市の駒札。ちょっと形が珍しいバージョン。
入り口。車止めの様に置かれた石に「神使 亥」の文字。両脇には筋肉質な狛イノシシ。ツルンとした質感を感じる、綺麗な狛イノシシさんたち、しっかり阿吽です。
そして、その向こうに摩尼車形式の石。新しく綺麗なこの石には大祓が書かれていて、回した所、涼やかな音色がしました。ただ、護王神社は神社なので、これを摩尼車と呼んでいいのか?回したら大祓をあげたことになるのか?というのは悩む所です。それでも、清められる様な本当に心地よい音がするので、ぜひ回してみてください。
楼門には大きなお守りが掲げられていました。このお守り、以前は赤いお守りだった気がするので、時々付け替えられている様です。
この、楼門→舞台形式の拝殿→中門→本殿という、いかにも神社ですという並びと雰囲気、私は大好きです。護王神社は御所の横という立地環境もあり、緑に囲まれている為により一層引き立ちます。
自転車で喜多門から入った場合でも、烏丸通沿いに回ってこの雰囲気を味わってから参拝してみてください、気持ちの高まりが違うと思います。
護王神社 外塀とは対象的に落ち着いた境内。
楼門を潜り右手に、霊猪手水舎(れいちょてみずしゃ)があります。猪の口から水が出ているその上に、手水の作法が書かれています。この、水が出ている所の猪の鼻を撫でると幸せになるとか。ご利益を頂いた方がいらっしゃるのでしょう、この日は足元にお賽銭が置かれていました。
正面の入り口の車止めには「亥」の文字、こちらの手水舎には「猪」の文字。護王神社の「イノシシ」は、「亥」でも「猪」でもどちらでも良いんだろうなぁ…と、手水舎にて実感しました。
拝殿前の狛イノシシさんたちと拝殿
拝殿前を守る狛イノシシさんたち。楼門前の狛イノシシさんに比べると若干古めで肉感も若干少なめ。拝殿の右手に「阿」、左手に「吽」と並びます。イノシシはオス・メス共に牙があるそうですが、大きな牙はオスだけと聞いたことがあります。そこから考えるに、護王神社の狛イノシシさんたちは全てオスで形成されていることになります。
その狛イノシシさんたちが守る拝殿の上には、参拝方法や四神の絵馬、軍艦・高雄に掲げられていた「忠烈」と書かれた額もあるのですが、それより気になったのは、折り上げ格天井の下、東西南北それぞれに掛けられた四神の絵。
京都を守る四神の話には様々な考え方があります。京都に京都ができた平安京の時代に四神相応の考えに基づき、地形を考慮して…とか、四神獣が…とか。今現在京都市の中心部に近い、この護王神社で東西南北を意識するということは、「こっちは玄武(四神の中の北方の守護)が守って〜ということを視覚として改めて認識できて面白いなぁ」と思いながら拝見しました。
拝殿前にお賽銭箱がある上、拝殿の上にはお詣りの仕方が書かれていたので、「ここからお詣りするのかな…」と思い、まずお詣りです。
拝殿の足元にも、金のイノシシさんたち。細かな所にまでイノシシさんたちが居ます。
入り口までに様々な説明がなされているからなのか、境内には説明書きがなく、スッキリした印象を受けます。
護王神社 中門あたり。
拝殿でのお詣りのあと、中門の前へ。こちらにもお賽銭箱が…「あ、2度目(笑)」と思いながら、改めましてのご挨拶です。
この奥の本殿に祀られているのは、和気清麻呂公命とその姉の和気広虫姫命です。「いのしし神社のおはなし」に詳しく書かれているのですが、和気清麻呂公を簡単に説明すると「天皇家の血統を守り、平安遷都に尽力した方」です。
奈良時代の末、当時の実力者・弓削道鏡が偽のご神託によって、天皇の位を我が物にしようとした事件が起こりました。清麻呂公は真のご神託を奉じてこれを阻止しましたが、道鏡によって足の腱を切られた上に九州の山奥に流刑となりました。九州へ下る途中に道鏡の刺客が襲いかかるなど、険しい途次でしたが、突然山の中から現れた300頭ものいのししが清麻呂公を守って道案内しました。
その後、清麻呂公が悩んでおられた足萎え(あしなえ)は不思議と治り、公は立って歩くことができるようになったと伝えられています。この故事により、護王神社は足腰の守護神として広く崇敬されています。
出典:護王神社公式サイト-御由緒と御祭神–
護王神社でいのししを神様の使いとして扱う理由は、上記の通りです。このお話をもっとわかりやすくしたのが、外塀のあちこちにかけられたパネルの「いのしし神社のおはなし」です。
清麻呂公の姉君・和気広虫姫は、早くから宮廷にお仕えし、そのお人柄は「他人の悪口を言うことがない」と天皇からも厚く信頼されていました。天平宝字8年(764)に起きた藤原仲麻呂の乱の折には、乱に連座した375名の死刑者の減刑を天皇にお願いし、死罪を流罪に改められ、乱の影響で身寄りを失った子どもたち83人を養子として養育されるなど、大変慈悲深い方でした。
出典:護王神社公式サイト-御由緒と御祭神–
そんな護王神社、明治時代まではこの地ではない場所で祀られていたようです。
確かな創建年は伝えられていませんが、もとは洛西の高雄山神護寺の境内に清麻呂公の霊社として祀られ、古くから「護法善神」と称されていました。
(中略)
明治19年(1866)、明治天皇の勅命により、華族中院家邸宅跡地であった京都御所蛤御門(はまぐりごもん)前の現在地に社殿を造営し、神護寺境内からご遷座。後に姉君の和気広虫姫も主祭神として合わせ祀りました。
出典:護王神社公式サイト-御由緒と御祭神–
神護寺からご遷座されたということだけあり、現在でも護王神社の禰宜さんが神護寺に出向いて行われる神事もあるのだとか。
中門の右横(北側)、聖鳳殿の裏に長椅子があり、その前にも入り口と同じ霊猪(れいちょ)の手水舎がありました。こちらの霊猪の手水舎、後ろ足で立ち上がった姿が可愛らしい猪さんからお水をいただくのですが、オートセンサー式の手水舎です。しっかりと水が出ますので、近づいて見てください。
霊猪の手水舎の横には招魂木(おがたまの木)と座立亥串(くらたていぐし) 。この地面に刺さっているのが座立亥串です。授与所で2本1組み1000円で販売されていました。2本のうちの1本に名前と願いことを書き、この招魂木の下や中門前左手の願掛け猪の石像の前などに刺し、残りの1本は自宅に持ち帰り神棚か玄関に祀ることで願いが叶う、と言われている願掛けです。詳しい願掛けの方法は授与所で書かれています。愛嬌のある折り紙(?)の猪が挟まれていました。
中門から続く、祈願所。この祈願所と直角になるように建つ社務所の壁一面に、猪コレクションと絵馬所狭しと並んでいます。大きなものから小さなものまで、干支の置物らしきものからこれは猪…?というものまで、多くの猪が並んでいます。こちらのコレクション、奉納されたものだそうですが、その量からも護王神社のご利益を頂いた方の多さが伺えます。
境内社〜喜多門へ。
社務所から続く授与所で御朱印をいただき、境内社にお詣りしながら喜多門へ向かいました。聖鳳殿の壁に掛けられた、大絵馬。手前に置かれたコーンの大きさから、絵馬の大きさが伺えます。
ぜん息封じのかりんの大木、伊勢神宮の遥拝所と続きます。護王神社に伊勢神宮の遥拝所があるとは知りませんでした。
喜多門と並び久爾宮霊殿 警察消防招魂社祖霊社 と並びます。祖霊社は別として、警察消防招魂社 久爾宮霊殿は普段あまり見かけることはありません。警察消防招魂社は読んで字の如く、警察や消防で尽力された方の魂をお祀りする社。久爾宮霊殿は明治時代前期に創立された宮家の方の魂を祀るお社。この宮家の出の方で有名なのは、昭和天皇の奥様 良子様です。京都御所を挟んだ東側には、旧久爾宮邸跡地もあり、夏はバーベキューが出来る宿泊施設になっています。
多くの種類の細かな石がぎっしり詰まった感じがある、日本一のさざれ石。
さざれ石の奥が、駐輪場と喜多門です。
護王神社 参拝記念スタンプと御朱印
護王神社の授与所で頂いた御朱印。御朱印と一緒に由緒書きを添えていただけました。由緒書きや縁起はもらう様に心がけていますが、時々話に夢中になったりして、忘れてしまうことがあります。
授与所の横には、座立亥串(くらたていぐし)に願いごとを書くための長机が用意されていました。その長机の上に、参拝記念のスタンプ台紙と記念スタンプ2種類が置かれていて、自由に押すことが出来る様になっていました。御朱印の他にスタンプを置いている寺社は時々見かけるのですが、台紙まで用意されているのは初めてではないでしょうか?しかもこの台紙、見開きになっていて、外側には可愛らしい猪の絵と交通案内、内面にはスタンプを押印する場所と外塀に掲げられて居た「いのしし神社のおはなし」が書かれていました。
新しそうな摩尼車(の様な石)、干支が書かれた大きな絵馬、センサー式の手水…古い神社の中に綺麗に溶け込んだ感がある、護王神社。新しいものと古いもの、猪と亥の字が入り混じっていたのも印象的な神社でした。
護王神社の喜多門の正面は、水戸藩邸跡地
護王神社の喜多門、下長者町通を挟んで水戸藩邸跡の駒札がありました。流石、徳川御三家の1つ、京都御所の隣に陣取っていたんだなぁ…と。藩邸が残っていないのが非常に残念です。
狛イノシシさんたちがいるお寺はこちら。地下鉄烏丸線→阪急と乗り換えれば、30分くらいで辿り着けるかと思います。
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