・ただただ階段、ひたすら階段
・紅葉と桜の穴場的スポット
豊国廟 概要
名称 | 豊国廟 ほうこくびょう |
遷宮 / 再建 | 慶長4年 / 明治30年 |
所在地 | 京都市今熊野北日吉町61-1 | ||
参拝料 | 100円 | 参拝時間 | 8:30〜17:00 |
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 東山七条 → 10分 京阪電気鉄道 京阪本線 七条駅 → 18分 プリンセスライン株式会社 京都女子大学前 →すぐ |
普段あまり聞きなれない「廟(びょう)」という言葉。
廟(びょう)とは
1.宗教施設として、死者を祀る宗教施設。特に各親族集団において祖先を祀るものをいう(仏壇など)。霊廟。祖廟。
2.1から転じて墳墓のこと。特に建造物が伴う墳墓をいうことがある。
3.1から転じて神仏を祀る宗教施設。神殿。寺院。出典:wikipedia-廟–
今回訪れたのは、豊臣秀吉公が眠る豊国廟です。
豊国廟へはGoogle Mapsを見て歩くとたどり着けません。
実は過去に思いつきで出先から豊国廟に向かい、辿り着けなかったことがあります。その時ルートを見ていたのは、Google Maps。現在はどうかな?と、最寄りの大通りである東大路通の七条の交差点(東山七条)から豊国廟までのルートを確認したところ、現在もおかしなルートが案内されていました。山肌を登っていく覚悟があれば別かもしれませんが、グレーの点線部分には道はありません。下の地図はスクリーンショットなので拡大できませんが、地図を拡大すると階段が見えるのですが、その階段から続く道が正しいルート。

豊国廟ルートスクリーンショット 2018年8月 ※2018年8月末現在、智積院から豊国廟へのルート案内(スクリーンショット)
豊国廟の受付は、地図状の階段の下です。

豊国廟階段を地図で見ると…。2018年8月
そんな豊国廟へ行こうと思い立ったのは、豊国神社のtweetを見たから。
【豊国廟特別朱印】豊臣秀吉公の墓所、豊国廟にて「豊国神廟印」「豊臣印」を押印した特別朱印を8月、9月の2ヶ月間の期間限定で授与致します。
豊国神社では授与致しませんので、お間違えの無きようお願い申し上げますm(__)m pic.twitter.com/i0Uoy0rw5J— 豊国神社 (@toyokunishrine) 2018年7月28日
前回、道を間違えて諦めた苦い思いを払拭するため、今回は念入りにルート確認をしてから出向きました。
豊国廟へは新日吉神宮の奥を目指す。
豊国廟へは東山七条の交差点から向かいました。東南に新日吉神宮の看板が目立つ東山七条の交差点の妙法院と智積院の壁に挟まれた、東の山に続くゆるやかな坂道を歩きます。途中、豊国廟参道と書かれた石柱があります。正面に大きな鳥居が見えるのも目印の1つ。
大鳥居の手前で道が二手に別れています。そこに鳥居がある以上正面の鳥居を潜りたい気持ちになりますが、豊国廟へ向かう時は左側のルートへ。
正面の鳥居には太閤桐紋が入れらられているため豊国廟の鳥居とわかるのですが、鳥居をくぐっても駐車場となっています。右側に見えるの鳥居の奥は秀吉公を密かに祀り続けたと言う、新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。

そのまま坂を登って行き両側が駐車場になっている場所を抜けると、バスやタクシーが多く停まっているなだらかな場所に辿り着きます。ここはプリンセスラインバスのターミナル兼車庫となっていて、豊国廟の太閤担(たいこうだいら)にもバスが停まっています。
豊国廟 登拝スタート!
バスを超えてすぐに目につくのが大きな灯篭と階段の奥の鳥居。コーンの大きさからわかるように、非常に大きな灯篭でした。
階段を登るとまっすぐ続く石畳と広い空間、右手に手水社、奥には方向廟の拝殿、そして正面に東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰が一度に目に入ってきます。この辺りの平らになった場所は太閤担(たいこうだいら)と呼ばれ、かつては秀吉公を祀る社殿が建っていた場所です。辺りを見渡すと、現在は所々に木々が植えられ、南側はバスの停車場として使われていました。
御朱印を頂いたり授与品を頂ける受付(授与所)は、赤い丸で囲った場所にあります。受付(授与所)が開いている時は、こちらで登拝料を支払い登拝券を受け取ることができます。開いていない場合は、拝殿の奥の入り口の柵に登拝料を納める志納金箱があります。
豊国廟の御朱印を拝受したい場合は、受付(授与所)で先にお願いをしておくと、登拝をしている間に書き置きの御朱印に日付を入れておいていただけます。
非常に暑い日だったこの日、受付(授与所)で対応して頂いた男性に「登られますか?」「30〜40分ほどかかります」「ご予定は大丈夫ですか?」と、体調や時間への配慮を頂きましたが、そこは地元民、翌日以降の筋肉痛以外は恐るものはなく、そのまま登拝させて頂きました。この授与所の中の壁に桜と拝殿の写真がかけられていました。豊国廟は桜の季節も見事な様子が伺えました。これだけの広さがあるので、桜の穴場かもしれません。
社務所の斜め後ろにある石塔。こちらには秀吉公の孫にあたる豊臣国松(とよとみくにまつ)と秀吉公の側室松の丸殿が眠っています。側室と孫がなぜ?とも思いましたが、松の丸殿は国松君の祖母にあたる、淀殿のいとこの方だそう。国松君の石塔よりも松の丸殿の石塔の方が大きい理由は、分からずじまいです。
阿弥陀ヶ峰を登る。
改めて、拝殿前へ。大きく立派な拝殿は白い砂利が敷かれ、真ん中を通り抜ける割拝殿と言っても過言ではない建築形式。壁もなく非常にシンプルな木組みの拝殿ですが、その大きさと後ろの阿弥陀ヶ峰の緑により、重厚な佇まいを感じます。
豊国廟(ほうこくびょう)は豊臣秀吉の墓所である。豊臣秀吉の死後間も無く作られた豊国廟は、現在の京都市東山区阿弥陀ヶ峰の太閤担(たいこうだいら)といわれる広場のところである。阿弥陀ヶ峰の中腹には秀吉を祀る豊国神社が創祀されていた。建設当時の豊国廟は、豊臣秀吉の死後に徳川家康に破壊され、明治13年(1880年)に修築が行われるまで300年ほど放置されていた。
出典:wikipedia-豊国廟
拝殿をくぐるとすぐ、豊国廟の階段と、悪天時や登拝不可の際に閉じるのであろう柵があります。その柵の横には、京都市設置の駒札。柵には登拝料に関する説明と志納金箱が付けられていました。ここまでは無料、この柵の先、阿弥陀ヶ峰への登拝が有料となります。
いよいよ、豊国廟への参拝スタートです。見事なまでに真っ直ぐ伸びる階段。この階段、段数は563段と言われていますが、数える人により若干の差があるようです。私は途中で数えることを失念しました…。
現在の豊国廟は、拝殿から563段の石段を登ったところに墓所の大きな石塔が存在する。
出典:wikipedia-豊国廟
そこそこ急な斜面、最初の間は二段ごとに幅が広く作られていて、若干登りにくさを感じますが、途中からは同じ幅+高さの階段に変わります。豊国廟の階段は、手すりや杖の貸し出しなどがないので、足腰に不安がある方の登拝はあまりオススメ出来ません。
途中、少し平坦な部分があります。ここが創建当時に豊国神社が創祀されていた場所なのでしょうか?説明などはありませんでしたが、立派な門が設置されていて、階段の終わりが見えています。
この門、ゆるやかな唐破風、棟鬼瓦と扉にはしっかりと太閤桐紋があしらわれています。
門をくぐりすぐに上を見上げたところ、「天照皇大神 豊国大明神 守幸所」と掲げられた札が天井に貼り付けられていました。豊国大明神とは、豊臣秀吉公を神様として祀る際のお名前。
元和元年(1615年)に豊臣宗家が滅亡すると、徳川家康の意向により後水尾天皇の勅許を得て豊国大明神の神号は剥奪され、秀吉の霊は「国泰院俊山雲龍大居士」と仏式の戒名を与えられた。神社も徳川幕府により廃絶され、秀吉の霊は方広寺大仏殿裏手南東に建てられた五輪石塔(現:馬塚、当時の史料では「墳墓」とされる。)に遷された。慶応4年(1868年)閏4月、明治天皇の御沙汰書により、秀吉の社壇を再興することが命じられた。明治8年(1875年)、大明神号は復されて、方広寺大仏殿跡に豊国神社が再建された。
出典:wikipedia-豊臣秀吉–
「豊国大明神」の文字を見ると改めて、ここは豊臣秀吉公を祀っているところだ、と感じます。
登拝したこの日、6月の地震か7月の豪雨の影響なのかはわかりませんが、この門の奥の参道が崩れていました。門を超えたら、あと一息です。
豊国廟 墓所に建つ大きな石塔
途中の門から見えた、平らな部分に石塔が建っています。ここが豊臣秀吉公が眠る墓所です。明治の時代に再興するに辺り掘り返されたところ、一緒に埋められていただろうものは盗掘されていたものの、秀吉公はこの地で西を向いて埋められていた、と聞いたことがあります。ですが、資料としては見たことがないので、どこまでが本当の話なのかはわかりません。
この辺り、時期によっては猿やイノシシが出ると言われているので、お供えものにも気を使うのでしょう。非常に大きな石塔の前には、多くのペットボトル飲料が並べられていました。
石塔の左側から山科方面を見渡せそうな道が出来ていました。季節によっては、京都市内が一望できるとも言われている、阿弥陀ヶ峰の豊国廟ですが、この日は葉が茂り景色を遮っていました。
豊国廟は帰りにご注意。
さて、登ったからには降りねばなりません。ここは帰りの方が気をつけて歩かねばならない、急な階段。踊り場もほとんどないため、転んだら最後、一気に落ちていってしまうような気がします。
上りの疲れも出てくるので、帰り道こそお気をつけください。
日頃からそこそこ運動しているつもりだったのですが、登拝した翌日から3日間、両足ふくらはぎの筋肉痛に悩まされました。観光で訪れる方は、残りの日程を吟味して、翌日から筋肉痛になっても大丈夫なタイミング・日程設定での登拝をオススメします。
豊国神社境外地 豊国廟でいただいた御朱印
今回、豊国廟でいただいた御朱印。秀吉公が亡くなった祥月に合わせ、8〜9月の2ヶ月限定で頂くことができるのが、上の豊臣印が入れられている御朱印です。豊国廟で頂く御朱印は小さいサイズの御朱印帳にも貼ることができるサイズの和紙に、事前に書かれている書き置きのものを頂くことになるのですが、使われている和紙が変わるタイミングで文字なども変わるとのこと。
伺ったこの日はちょうど切り替えのタイミングの頃だったようで、通常の御朱印も2種類頂くことができました。こればかりはタイミング次第ですが、時々伺えば様々な御朱印を頂くことができそうです。また、春にはさくら朱印が、月命日にあたる毎月18日にも限定の御朱印がいただけるとのこと。秀吉公が好きな方はぜひ18日に登拝してみてください。
豊国廟 再訪
例年になく早い桜の開花宣言を聞いた翌日の2021年3月17日。豊国廟の桜はどれくらい咲いたのだろう?と思い、久々に出向いてまいりました。残念ながら、桜はまだまだ咲いていませんでした。
奥の方に見えるピンクの木は早咲きの桜…ではありませんでした。御朱印をいただいた際に梅の木に桃が入っているのではないか?と言われた、と伺いました。
この日は黄砂がひどく、市内を見渡しても靄がかかった状態。この道沿いにも桜が多く植えられており、豊国廟に辿り着くまでの間も桜を楽しむことができます。実際にこの日も道沿いの桜の方が開花していました。
再訪でいただいた限定御朱印。
再訪でいただいた限定御朱印。春の御朱印です。どうやら基本的な御朱印が変更となったようで、見せていただいたものは石塔をデザインした豊国神廟の印が押されたシンプルなものでした。この後すぐ桜の限定御朱印も始まるとのこと。毎季ごとに違う御朱印がいただけるのは、嬉しい限りですね。
この豊国廟は豊国神社の境外社にあたります。徒歩圏内なので、豊国神社へも是非どうぞ。豊国神社も御朱印豊富です。

豊国神社のお隣には、大坂の陣のキッカケとなったと言われる梵鐘がある方広寺も。

豊臣家好きにはたまらないであろう、東山七条です。
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