鎌達稲荷神社 概要
名称 | 鎌達稲荷神社(けんたついなりじんじゃ) | 創建 | 711年(社伝) |
主祭神 | 倉稲魂大神 猿田彦大神 | ||
境内社/摂社・末社 | 白菊稲荷大神 | ||
主なご利益 | 運・勝負運を招き奇蹟を生む | ||
所在地 | 京都府京都市南区唐橋西寺町57-1 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 16系統 西寺前 JR 東海道本線 西大路駅→徒歩約10分 東寺→徒歩約15分 |
鎌達稲荷神社は元稲荷!?
・ご利益が『奇蹟を生む』
・安倍・土御門家の鎮守杜
・知る人ぞ知る、『サムハラ』のお守り
鎌達(けんたつ)稲荷神社は、西寺跡にある、どちらかというと観光向けとは言い難い、住宅と公園に囲まれた、地元に馴染んだお稲荷様です。
この鎌達稲荷神社、私も数ヶ月の間毎日の様に前を通っていたことがあるのですが、当時は「お稲荷様があるな」程度の認識しかありませんでした。実際参拝客で溢れかえることはなく、静かな住宅街の中になじみ、佇んでいます。
看板をよく見てみると、何気に「元、陰陽師 安倍 清明が子孫 安倍・土御門家の鎮守杜」と明記されています。何でも、元々は土御門家の邸宅内で祀られていたとか。
当神社は奈良朝初期和銅四年元明天皇の御時(西暦711)の御鎮座とされますが、安政四年(西暦1857)に奉納された御神鏡の記録に寄りますと、仏教伝来(西暦538)の頃(飛鳥時代)の御鎮座ともされ、伏見稲荷大社よりも古く、元稲荷とも伝えられています。(後略…)
出典:鎌達稲荷神社 由緒略記
史実はその時代に生きなければわかりません。ですが、『元伊勢』『元出雲』がある以上、『元稲荷』があってもおかしくないのかもしれない?と思いながら読んでいました。もしかして…なんて考えると、夢のある話ですよね!?
鎌達稲荷神社にお詣り
※2016年2月
※2017年9月
鎌達稲荷神社の御祭神の主神は倉稲魂大神様と猿田彦大神様。
主神二柱の鎌達さまご信仰ご利益由来には幸運・勝負運を招き、奇跡を生む神さまの御霊験ありと慕われており、元境内にあった杉の大木には天狗様(猿田彦大神と考察)が宿っておられ、稚児の生育を守り給うたと伝えられております。
出典:鎌達稲荷神社 由緒略記
倉稲魂大神様と言えば、伏見稲荷大社の主祭神で、伊勢神宮下宮に鎮座している豊受大神様と同一神と言われる、食料・穀物を始めとした、繁栄の神様。猿田彦大神様と言えば、導きの神であると同時に交通安全の神様。合わせ技になったら確かに無敵な神様だなぁ…と、納得しながら、拝殿からお詣りです(前に立つと中に本殿が見えます)。
人懐っこい感じの狛犬さんたち。写真撮って!って言われた気がしました。
末社・石碑など。
本殿の南(右)側には、石碑が立っています。宇賀神様と言えば、宇迦之御魂神様と同一神と考えられています…と言うことは、本殿に祀られている倉稲魂大神と同一神と言うことになります。宇賀神様は人頭蛇身の神様で、頭部は女神様だったり老翁だったりします…どうも、三室戸寺の老翁に蛇身で蜷局を巻いているイメージが強過ぎるので、同一かどうかを深く考えるのは止めておきます。
その隣は、浄僧貴所之塚(じょうぞうきしょのつか)。
浄僧貴所之塚(平安朝比叡山の呪術僧)をお祭りしています。
出典:鎌達稲荷神社 由緒略記
浄僧貴所の名前は、祇園祭に登場してくる山鉾の山伏山は浄蔵貴所が大峰山に入る時の様子を表現している、という話で知りました。金閣寺にも浄僧貴所のお墓または供養塔と言われるものがあると言われています。あちこちで弔われる程、力のある呪術僧だったのでしょう。
安倍・土御門家の鎮守杜の鎌達稲荷神社ですから、呪術師や祈祷師を祀っていても不思議はありません。
更に隣に黒住大明神、坂杦大明神と続きますが、この大明神様達については、いくら調べてもわかりませんでした。
本殿の左手には、白菊稲荷大神様のお社が。白菊稲荷大神様と言えば、伏見稲荷大社の三の峰にもいらっしゃいます。鎌達稲荷神社でいただいた由緒略記でも、同一神とされています。
鎌達稲荷神社 御朱印とサムハラお守り
御朱印は書き置きのものが小箪笥に入れられています。お守りも同じ小箪笥の違う引出しに入れられています。御朱印300円、お守り800円でした。全て見本が張り出してあるので、必要な(好みの)お守りを選ぶことが出来ます。
鎌達稲荷神社では、自分で欲しいものを引出しから出し、その分のお金を本殿のお賽銭箱に入れます。私が伺った時には御朱印の引出しが空だったため、インターホンで呼んで御朱印を頂くこととなり、運良く日付を入れて頂くことが出来ました。
基本的には常駐していない、と思っておいたら間違いないです。御朱印やお守りが欲しいという方は、是非小銭を用意して行ってください。
「サムハラ」と書かれたお守り
鎌達稲荷神社で扱われているお守りに、「サムハラ」という字が書かれたお守りがあります。この「サムハラ」という言葉、パソコンでは漢字変換出来ません。
サムハラと言えば、大阪のサムハラ神社や奥の宮にあたる岡山県津山市のサムハラ神社が有名です。
織田信長の安土城が出来た年である天正9年(1581年)今の津山市加茂町中原にある日詰山に築かれた落合城に羽柴秀吉の家臣木下備中守宮部善祥が駐留していました。
落合城にサムハラと神字で書かれた石碑がありました。
その石碑を拝み、その神字を紙などに写して身に付けた武者は矢や鉄砲の弾が当たらないということで熱心に拝まれており、さらには災厄除けとして拝まれていました。その後本能寺の変で織田信長は世を去り、羽柴秀吉は豊臣秀吉となり太閤となり、さらには関ヶ原の戦いで徳川の天下となり江戸時代が1868年まで続きます。その300年間もサムハラの護符は地元の人々に信奉されていました。
出典:津山瓦版 い〜津山 どっと・こむ サムハラ神社(加茂町中原)
大阪のサムハラ神社の指輪のお守りは製造が追いつかない程に人気があり、次回の販売予定日がわかるかどうか?と言われています。また、岡山のサムハラ神社は呼ばれた人しか行けない神社と言われていて、呼ばれていなければ予定が入ったり天候不良など何らかの事情が発生して行けなくなると言われている程です。
同じ「サムハラ」の文字が書かれている、鎌達稲荷神社で授与されているサムハラお守りは、災難除け、奇蹟を生むお守りと言われています。
西寺児童公園
西寺跡は現在、西寺児童公園となっています。鎌達稲荷神社は西寺の跡地にあるのですが、西寺児童公園とは繋がっていません。鎌達稲荷神社の敷地を出て、少し歩くと西寺児童公園への入り口があります。周囲は住宅街や小学校などのある、地元の方の生活道路となっているので、気をつけて歩いてください。
羅城門を挟み、東寺と対をなしていた西寺。200m四方程の大きさがあったとされています。今現在、西寺児童公園の中の小高い丘の上に、西寺の存在を知らしめるかのように礎石が残っています。西寺の礎石は普通の石と同じ様にそこにあるので、礎石の上に座る人もいれば、礎石を台に見立てて遊ぶ子どもも。
鎌達稲荷神社参拝後は、西寺の礎石に座って、かつてそこにあった西寺に思いを馳せてみては如何でしょうか?
鎌達稲荷神社の話は、寺社に詳しい人からもなかなか聞くことがありません。知っているだけで、呼ばれているのかも!? 是非、静かにお詣りしてみてください。
追記:20180123
2018年今年最初の鎌達稲荷神社へのご挨拶に訪れた際、節分祭のお知らせがされていました。
もちろんこのお知らせは主にご近所の方向けてお知らせされているものです。
節分祭が盛んに行われている京都らしいな、と思うお知らせ。
多くの節分祭が夜行われるのは、やはり鬼が出るのが夜だからなんでしょうか?
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