・清和源氏の祖、清和天皇ゆかりのお寺。
・周辺寺院へのアクセスも良好。
清和院 概要
名称 | 清和院 | 山号 | 河崎山 |
御本尊 | 地蔵菩薩 | 脇侍/安置仏 | ー |
開基 | 文徳天皇 | 宗派 | 真言宗智山派 |
札所 | 洛陽三十三観音霊場巡礼 第33番 洛陽四十八所地蔵霊場(京都四十八願寺) 洛陽七観音 |
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所在地 | 京都市上京区七本松通一条上る一観音町428-1 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京都市営バス 上七軒/千本中立売 徒歩約3分 | ||
拝観時間等 | 9:00-16:00 | 拝観料(通常) | ー |
洛陽三十三観音巡礼 結願のお寺へ。
京都市上京区にある、清和院。こちらは洛陽三十三観音巡礼の最後、三十三番のお寺です。洛陽三十三観音巡礼は番号こそ振られているものの、巡る順番は定められていません。なので、結願のお寺とは言っても最後に来なければならない、ということもなく。
現に私も後数ヶ寺残した状態での参拝となりました。
清和天皇は清和源氏の祖。清和源氏発祥の神社は南区にあります。
清和院 参拝の様子
山門を潜るとすぐ、御朱印の受付の看板。さすが結願のお寺、という雰囲気です。
そして、左手に本堂と賓頭盧様。そして本堂横に鳥居…まさにシンプルイズベスト!とを体現したお寺です。
もと、藤原良房邸(染殿第)の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのに始まる。
清和天皇が貞観18年(876年)の譲位後、染殿の南部分を御在所・後院とすると、仏心院は清和井(せかい)院もしくは勢賀院とも呼ばれるようになった。それ以来、皇子、親王の住院として使用された。
その後に廃れていたところ、徳治元年(1306年)に浄土宗西山義の照空信日によって仏心院は再興され、清和院の号を朝廷より賜った。
万治4年(1661年)に禁裏が火事で焼失した際に共に焼け落ちるが、後水尾上皇によって現在地に移されて真言宗の寺院として再興された。その際、享禄4年(1531年)に焼失した一条鴨川西岸にあった感応寺の聖観音(通称、河崎観音)も一緒に祀られることとなった。
出典:wikipedia-清和院–
今回は観音巡礼なので観音様にお詣りを…と思っていたのですが、こちらの観音様、本体は九州国立博物館に収蔵されているとのこと。なかなか数奇な運命を辿っていらっしゃる観音様のようです。
清和院でいただいた御朱印。
今回は洛陽三十三観音巡礼でお詣りしたため、洛陽三十三観音巡礼の御朱印。清和院では他の御朱印も用意されているそうですが案内はない為、受付で申し出て拝受してください。
受付前には清和天皇所縁の地、愛宕山の山麓の水尾の名産品の柚子を模したお守りと柚子が描かれたご朱印帳が用意されていました。柚子の御朱印帳ってなかなかないよね、というのが率直な感想。なかなか可愛らしい柚子模様でした。
清和院近くの神社仏閣
清和院近くには徒歩で回れる神社仏閣が多くあるので、周辺を1日ぶらぶら散策するのもオススメです。
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