長建寺 概要
名称 | 長建寺(ちょうけんじ) (辨財天長建寺) |
山号 | 東光山 |
御本尊 | 八臂(はっぴ)辨財天 | 脇侍/安置仏 | 裸形辨財天/宇賀神将 |
開基 | 建部内匠頭政宇(伏見奉行) | 宗派 | 真言宗醍醐派 |
所在地 | 京都市伏見区東柳町511 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京阪電鉄 中書島駅 北口 → 徒歩3分 | ||
拝観時間等 | 9:00~16:00(16:30) | 本尊特別公開 | 元旦〜15日間御開帳(要確認) |
柴燈大護摩供(さいとうおおごまく)
伏見区にある、長建寺。お正月の伏見五福めぐりのお寺としてお詣りしたのは今年の初め。
その際、長建寺で見た境内の看板に書かれていた、柴燈大護摩供の説明。護摩修行の方法ではなく、護摩の持つ意味、精神性に関する詳しい説明がなされていて、興味深いものでした。
練り歩きから始まる、長建寺の柴燈大護摩供
弁天祭は7月第4日曜日、午後7時30分より 境内での約40名程の僧侶や行者による柴燈大護摩供の行事のみです。午後9時終了。
出典:京都観光Navi-長建寺 弁天祭–
この情報を頼りに向かった伏見区。大手筋商店街で買い物をしてから向かったため、最寄駅の中書島駅からではなく、伏見桃山駅から龍馬通りを抜けて長建寺方面へ。
寺田屋近くの蓬莱橋を通っていた頃、どこかで法螺貝の音がしているのが聞こえてきて、柴燈大護摩供を行う山伏の方々が町内を歩いている姿が遠くに見受けられました。蓬莱橋の写真を撮った時点で18:33。弁天祭開始予定時刻の19時には間に合うだろう…と思いながら、春に訪れた時とはまた違った雰囲気の宇治川派流沿いを少し早足で歩き、伏見十石船乗り場前の長建寺へ向かいました。
長建寺 弁天祭前の境内へ。
長建寺の山門前へ到着したのが、18:36。境内にはすでに外国の方や近隣の方であろうご婦人方、一眼レフを構えた人などが集まっていました。それでも溢れかえる程の人…ということがなかったのは、この日の最高気温が38度を超えていたからかもしれません。
法螺貝の音が途切れ途切れ聞こえる中、本堂へのお詣りと護摩焚きでお焚き上げをしてもらう木札の拝受・記入、護摩壇を拝見。
伏見五福巡りで訪れた時は囲われていた、厄除開運不動明様や水弁天様、聖宝尊師理源大師様が祀られているお社前。この日は囲いも外され、既に護摩壇が組まれた状態。初めて参拝した時、護摩壇を組む場所を囲うのはわかるけれど、手前は…?と思っていたのですが、座布団が敷かれていました。
「どこで柴燈大護摩供を見させてもらおう?」と境内をうろうろしていた所、山伏の方々が山門を潜って来られました。
柴燈大護摩供(弁天祭)の始まり。
境内に入られた山伏さんたちは水分補給を終えると護摩壇を囲み、柴燈大護摩供(弁天祭)が始まりました。
法螺貝の音とマイクを使った護摩供の進行。斧(鉞(まさかり)かもしれません)・弓・剣を使い、東西南北と北東(鬼門?)の5ヶ所を四角く歩き、場を清めて行きます。残念ながら、清める人たちはマイクなしだった為、何を言われているのかはわかりませんでした。
この中で注目したのは、弓でのお清め。射られた弓矢は直径1㎝ほどの白木、先端に鏃(やじり)はついておらず、矢羽(やばね)は紙製で、危険はほとんどありません。その矢をあえて近くに落としていました。どうもその矢は拾ったら持ち帰ることができるのだそう。また、東に射られた矢を持った人と北東を清めた矢を拾った人を見たのですが、黒と金の紙が巻かれていました。もしかしたら、場所により放たれる矢に巻かれた紙の色が違うのかもしれません。
護摩壇へ点火
いよいよ護摩壇への点火。お不動様のお社のロウソクの小さな火が護摩壇へ移されました。その後、御住職や山伏の方々が般若心経を唱えながら護摩木を焚べて行きます。何度も繰り返される般若心経。そして、その後不動明王様の真言が繰り返されました。この人数での般若心経と不動真言は大迫力、恐れ多いとは思いながらも手を合わせ一緒に口にさせていただきました。
徐々に火力が弱まり、御住職のお話を聞いて、長建寺の柴燈大護摩供(弁天祭)は終了。儀式を終えてようやく、境内の護摩壇近くまで近寄れる様になり、一眼レフを持った人が入れ替わりで残り火を撮影していました。
予定より早く始まったため、終わりも早く境内を出る前に本堂を撮った時間は19:43。思ったより早く終わったとはいえ、明るかった空もすっかり暗くなった中、帰路に付きました。
なかなかタイミングが合わない、柴燈大護摩供。日付固定ではなく、曜日固定で行われている長建寺の柴燈大護摩供は、駅からの近さも重なり、かなり行きやすい柴燈大護摩供だと思います。結界の中には入ることはできませんが、かなり近い場所から見られるのも、嬉しいです。
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