・本堂はガラス越しながら御本尊にも御目通り可能。
・寺務所の対応がとても丁寧。
長圓寺 概要
名称 | 長圓寺 (ちょうえんじ) |
山号 | 延命山 |
院号 | 無量壽院 | 御本尊 | 阿弥陀三尊像 |
開基 | 板倉勝重 | 宗派 | 浄土宗 |
札所 | 洛陽三十三所観音霊場 第24番札所 | ||
所在地 | 京都市下京区松原通大宮西入中堂寺西寺町33 | ||
最寄りの公共交通機関 | 阪急電鉄 京都線/京福電気鉄道 嵐山本線 四条大宮駅 → 徒歩約13分 JR 嵯峨野線 丹波口駅 → 徒歩約10分 京都市営バス 大宮松原 → 徒歩約7分 京都市営バス 五条壬生川 → 徒歩約9分 |
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拝観時間等 | 9:00〜16:00 | 拝観料(通常) | ー |
下京区の長圓寺へ
大宮松原を西に進むと小さな寺院がいっぱいあるのですが、その中の一寺に洛陽三十三観音巡礼に名を連ねる長圓寺があります。
門が閉まっている寺院を眺めながら辿り着いた、長圓寺の山門。門が開いているだけでも嬉しくなるほどこの辺りの寺院は山門が閉じられたり侵入防止の柵がされており、参拝可能かどうかの判断が出来ません。
山門前には、京都市設置の駒札も。あちこちのサイトで長圓寺について調べてから伺ったのですが、大体のサイトで書かれていた内容は、この駒札の内容と一致していました。
長圓寺 山門の中へ。
長圓寺の境内。現在は本堂・観音堂・庫裡・客殿等の建物が並んでいます。境内は石畳と砂利が敷かれ、駐車スペースとして使われていそうな場所もありました。
円仁(えんにん、延暦13年(794年) – 貞観6年1月14日(864年2月24日))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。出典:wikipedia-円仁–
本堂の前には、佛足石。釈迦の足跡を彫ったものと言われていますが、見かける度に、お釈迦様の足跡ってこんなに大きいのかしら…?と思わずにいられない大きさ。例に違わず長圓寺さんの佛足石も大きなものでした。
境内の奥に手水鉢を見つけました。非常に可愛らしいお地蔵様がお出迎え。この手水鉢の奥は墓地となっていました。
手水鉢のあたりから見た、本堂と唐破風の観音堂。間にびんづるさんもいらっしゃいます。
観音堂に祀られているのは、聖観音像。
天正15年(1587年)に三河国から上洛してきた浄土宗の大誉上人浄阿清巌が清水寺の観音像の霊告によって、かつて疱瘡をおさめたという霊験あらたかな聖観音像が比叡山にあることを知り、それを譲り受けて現在地に観音堂を建てて祀った。
出典:wikipedia-長圓寺 (京都市)–
恵心僧都作と言われている聖観音像は疫病に霊験があると信じられてきたとのことで、この日も聖観音像の前には多くの写経と納め札が納められていました。観音経や般若心経など…決められたものを納めた写経と言うよりは、信仰心から納められたものという印象。そういえば、納め札だと思っていた札、洛陽三十三観音巡礼は納め札が用意されていないような…一体何の納め札だったのでしょうか?写経にしても納め札にしてもジロジロ見るのは失礼かと、チラリと見た程度。次にお詣りする機会があったら、聞いてみようと思います。
長圓寺の御朱印
長圓寺で頂いた御朱印。今回は洛陽三十三観音巡礼の御朱印帳に頂いたもの。寺務所に入った瞬間に冷たいお茶を組んでくださり、御朱印を書いていただいている間ゆっくりお茶を頂きながら待たせて頂きました。
実は境内に入った瞬間、寺務所方面から歩いて来られたご婦人に「御朱印ですか?」と尋ねられ、「洛陽三十三観音巡礼の御朱印を頂きに」と答えたところ、「ご苦労様です。今は居るから大丈夫でしょう」とのお返事を頂いておりました。もしかしたら御朱印の対応を頂けないこともあるかもしれません。他にも御朱印を用意されているのかなど色々伺いたかったのですが、途中で檀家さんらしき方が来られたため御朱印と飴を頂いて参拝終了となりました。
※御朱印は変更となる可能性があります。
壬生寺にも徒歩圏内なので、ぜひ一緒にお詣りを。

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