大黒寺 概要
名称 | 大黒寺(だいこくじ) 通称:薩摩寺 |
山号 | 円通山 |
御本尊 | 出世大黒天 | 脇侍 | 不動明王/毘沙門天 |
大黒寺 開基 | 薩摩藩主 島津義弘 | 大黒寺 創建 | 元和元年(1615年) |
宗派 | 真言宗東寺派 | 長福寺 開基 | 空海(弘法大師) |
所在地 | 京都市伏見区鷹匠町4 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京阪電車/近鉄京都線:丹波橋駅下車 徒歩約5分 | ||
2018京の冬の旅 非公開文化財特別拝観料/拝観時間 | 大黒寺は600円 / 10:00~16:00(受付終了) |
薩摩藩の祈願所だった、大黒寺
「京の冬の旅」非公開文化財特別公開期間中の大黒寺へ。参拝は2度目。前回は本堂で法要が行われて居たため、そそくさと退散した大黒寺。地元に根付いたお寺だと、そんなこともたまにあります。
さて、大黒寺は通称が薩摩寺と言われる様に、薩摩藩と縁が深いお寺です。今回(2018年)の「今日の冬の旅」の非公開文化財特別公開では、西郷隆盛や大久保利通が会談をした、と言う部屋が公開されていました(多分撮影不可)。
大黒寺は伏見五福めぐりの1つ
大黒寺は、お正月の松の内に行われる伏見五福めぐりの1つに名を連ねています。
5つの神社・仏閣(藤森神社,大黒寺,御香宮神社,長建寺,乃木神社)を全てめぐり授印してもらうと記念品(平成16年は申の土鈴)がもらえます。
出典:洛南保勝会公式サイト
長建寺への参拝で、今年の色紙を拝受し損ねたことはわかっていましたが、まだまだ五福めぐりの期間中だったため五福めぐりの色紙を手にした人達や、「京の冬の旅」を目的に参拝する人など、周辺には前回の参拝の時よりも多くの人が居ました。
五正色幕(ごせいじきまく)がかけられた1月13日の大黒寺。五色幡(ごしきばた・五色の吹き流し)も空を泳いでいました。
大黒寺 綺麗な境内
門を潜るとすぐ左手に、手水とお不動様。比較的新しいお不動様です。その奥に小さく古くからこの辺りに居たのであろう石仏が並んでいます。
※2017年11月
不動明王様の反対側には、「金運清水」と名付けられた水が湧き出て居ます。こちらも新しく、平成13年に掘られたものです。こちら、コップが置かれて居て飲むことが出来る、非常に綺麗なお水です(2018年現在)。それもそのはず、金運清水が湧き出る井戸の水脈は伏見の酒作りに使われている他の伏見の名水のものと同じ水脈から出ているお水。更に、大黒様に備えられているそうなので、閼伽水と言っても過言ではありません。
同じ伏見区の長建寺には、閼伽水がありました。閼伽水の説明は、コチラ。

本堂前には、幸せの壺という札がかかった壺があります。こちら、運試しが出来る壺です。壺の中に水が入れられて居て、底には小さな筒状の物が立っています。
小銭を落とし、この筒に上手く入れることが出来たら幸せになれる、と言うもの。覗いて見ると、多くの人が挑んで失敗しているのがわかります。私も挑戦して見ましたが、11月も1月も上手くはいりませんでした。どうも真上から落とすと上手く入らない様です…。
本堂前、幸せの壺の反対側にはおさすり大黒様。福々しい大黒様ですが、なぜか小槌を持っていらっしゃらないような…?御本尊ではありませんが触れて幸運にあやかれるという大黒様。私は七宝が入っていると言われる大黒様が担いでいる袋を触らせていただきました。
大黒様が担いている袋の七宝に関しては諸説あります。
仏教において、貴重とされる七種の宝のこと。(中略)
『無量寿経』においては「金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)」とされ、『法華経』においては「金、銀、瑪瑙、瑠璃、硨磲、真珠、玫瑰(まいかい)」とされる。出典:wikipedia-七宝
お宝ならなんでもいい!という訳ではありませんが、大黒様が持っている、というだけでも非常にありがたく感じてしまいます。
手水の不動明王様といいおさすり大黒天様といい、境内や本堂の建物は比較的新しく、とても綺麗で歴史を感じにくいかもしれません。ですがこちらの大黒寺、大黒寺という名前になる前の長福寺はあの弘法大師 空海が開基と言われるほど、歴史あるお寺なんです。
※京都市設置のこま札 おさわり大黒様の横にあります。
大黒寺 「京の冬の旅」非公開文化財特別公開の様子。
この非公開文化財特別公開の説明ですが、一定の人数が集まらなくても説明を聞くことが出来るため、待ち時間などを気にして向かう必要はありません(大人数になる場合もあります)。もちろん、入って見たら途中からだった、ということもあります。
大黒寺 本堂拝観。
大黒寺の「京の冬の旅」非公開文化財特別公開では、本堂と西郷隆盛や大久保利通が会談した部屋を説明を受けながら拝見しました。それも、私ともう一人の男性に対して一人の学生さんが説明をしてくださるという、貸切に近い状態での拝観でした。
・大黒寺は薩摩藩の祈祷所になる前は、長福寺というお寺で、豊臣秀吉を始め、多くの武将から信仰を集めたお寺だった。
・薩摩藩の伏見屋敷から近かったこと、長福寺の御本尊が薩摩藩主島津義弘の守り本尊「出生大黒天」と同じだったこと、などから、長福寺を薩摩藩の祈祷所とし、名を大黒寺とした。
・大黒寺の出世大黒天様は甲子(きのえね、こうし、かっし)の年のみご開帳される秘仏で、弘法大師作と伝えられるもの。ちなみに次の甲子の年は2044年。
・金運清水のお水はぜひ飲んで帰ってください。
本堂には、御本尊の出世大黒天様が入った厨子を中心に多くの仏像が置かれていました。非公開文化財特別拝観期間とは言え、厨子の扉は閉められたままの状態で、白黒写真でお顔を拝見となりました。 約24㎝と大きな御本尊ではありませんが、非常に柔和で武将からの信仰を集めたとは思えないお顔立ち。
ですが、秀吉の天下統一や幕末から明治にかけての薩摩藩の躍進ぶりを考えると、霊験あらたかな大黒様なのだろう、ということは一目瞭然です。
秘仏のお写真を拝見後、本堂にしつらえられた護摩壇の奥、内陣に祀られたお仏像を拝見し、例の部屋へ移動しました。
例の部屋、拝見
本堂のすぐ隣にある、例の部屋。そう、大黒寺の「京の冬の旅」非公開文化財特別公開のメインである、「西郷隆盛と大久保利通がたびたび会談した部屋」へ移動しました。今でこそ有名な西郷隆盛ですが、会談をして居た頃はまだそこまでの有名人ではなかったのでしょう。会談を行ったと言われるその部屋は8畳と広くなく、そこに実際に使われて居たという質素な机と硯と筆、煙草盆らしきものが置かれて居ました。
その机を挟み、会談をするかのように説明を伺いました。
・寺田屋騒動は2度あった。薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件と坂本龍馬襲撃事件。
・本堂の裏には文久2年(1862)に起こった薩摩藩の尊皇派志士の鎮撫事件の方の寺田屋事件で犠牲になった、寺田屋殉難九烈士のお墓と家老の平田靱負(ひらたゆきえ)のお墓がある。
・琉球との貿易などで莫大な富を持った薩摩藩を恐れた幕府が、薩摩藩に木曽三川分流工事を全工事費用負担でするように命じたが、工事は難航し、薩摩藩は多くの犠牲者と多額の借金を出した。
・平田靱負はの木曽三川分流工事の責任を取り自害した人。
・寺田屋殉難九烈士のお墓の字は、西郷隆盛の書。
・西郷隆盛は会談に使われた部屋と隣の部屋の間の龍の欄間をとても気に入っていた。
・薩摩藩士の残した書や歌、肖像画も公開されているので、どうぞごゆっくり。
文久2年4月23日(1862年5月21日)に薩摩藩の事実上の指導者・島津久光が薩摩藩尊皇派を始末した事件。「寺田屋騒動」とも言う。
出典:wikipedia-寺田屋事件
西郷隆盛と大久保利通が何度も会談をしたと言われる部屋は、古さは感じるものの昭和に建てられたと言われても疑わないほど、とても綺麗な状態で保たれていました。そして、本堂の裏の墓地にある、寺田屋殉難九烈士のお墓へお参りをして、大黒寺の拝観は終了…と思ったのですが。
寺田屋殉難九烈士と言うのに、暮石が9基横並びに並び、隅にその9基に対して90度の角度で+1基あるではないですか!と思い、説明をしてくれた学生さんに質問。
「このお墓は肥前島原藩藩士の尊王派中村主計(なかむらかずえ)のお墓です。寺田屋事件で捕らえられ、薩摩へ船で護送中に薩摩藩の人に殺害された人です。」
とのお答えでした。
※お墓の写真を撮るのはあまり好きではありません…ので、こんな感じでごめんなさい。
大黒寺 御朱印(京の冬の旅 開催期間限定)
今回、「京の冬の旅」非公開文化財特別公開期間中ということで、墨書きが金の墨で書かれた御朱印をいただきました。実際に見ると、ちゃんと金色です。御朱印自体にご利益がないのは承知ですが、金色の墨で大黒様とご縁を結んでいただいたと思うと、かなりの金運上昇が見込めるのでは!?と思ってしまいます。
※御朱印は変更される可能性があります。
薩摩義士碑や伏見義挙殉難士之墓地など、ぐるりと見回すだけであれもこれもと目移りする大黒寺。大黒寺は金札宮の斜め前にあります。大黒寺の門から見た金札宮は、こんな感じです。ぜひ一緒にお詣りを。

大黒寺には保育園が併設されている上、金札宮の間の通りは平日でも区役所や近隣に数カ所保育園や児童館があるため、子供や車の往来の多い通りになります、十分気を付けてご参拝ください。
薩摩藩・坂本龍馬ゆかりの地、寺田屋趾へも徒歩10〜15分程です。

今回の特別公開、境内にはそこそこ人が居たのに、貸切状態でラッキーと言っていいのか、写真は控えようとか、色々思う特別拝観。まだまだ中庸には程遠い、と思い知った大黒寺でした。
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