大光寺 概要
名称 | 大光寺 | 山号 | 藤澤山 |
御本尊 | 阿弥陀如来立像 | 脇侍/安置仏 | 不明 |
開基 | 寛海(空蔵坊寛海上人) | 宗派 | 浄土宗 |
所在地 | 京都府京都市伏見区伯耆町1-1 | ||
最寄りの公共交通機関 | 京阪電車 伏見桃山駅→徒歩5分 近鉄電車 桃山御陵前駅→徒歩7分 |
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拝観時間等 | 7:30〜16:00 ※観光寺院ではありません。 門扉が開いている時に、境内からお詣りしてください。 |
大手筋商店街の中にある、大光寺
伏見五福めぐりに出向いたはずが色紙の販売が終了していて、普通の寺社仏閣巡りに落ち着いた日、帰宅しようと大手筋商店街を歩いている時に見つけた、大光寺です。
お寺の多い京都ですが、観光寺院ではないために門扉が閉ざされたお寺も多い中、門が開いて居たのでのぞいて見た所案内されている看板がありました。では遠慮なく…と急遽参拝、全く前知識の無いままお詣りしてきました。
大手筋商店街から見た、大光寺。賑やかな商店街の中で店舗に挟まれています。山門の手前には徳川家光 傳役 青山伯耆守の屋敷跡という石碑があります。傳役(もりやく・ふやく)とは、養育・教育係のこと。
青山 忠俊(あおやま ただとし)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。徳川幕府譜代大名。常陸国江戸崎藩2代藩主、武蔵国岩槻藩主、上総国大多喜藩主。青山家宗家2代。
出典:wikipedia-青山忠俊
伏見には伏見城があった影響か、多くの武家屋敷の跡地がありますが、石碑で初めてわかることが多い印象です。鳥羽・伏見の戦いの地ですから、現存していなくても仕方がありません。
大光寺 境内
山門を潜るとすぐ、歴史が描かれた金属製の看板がありました。移転や荒廃を乗り越えてこちらに落ち着いた細かな歴史や伏見義一揆との関係などが書かれていました。
門前から見えて居た、白く月影杏葉が抜かれた幕が美しい、本堂。月影杏葉は浄土宗の紋。大光寺の寺紋は、金属製の看板に描かれた下がり藤に大の文字が入ったもの。
大光寺 本堂
前知識は全くなかったものの、本堂前の小さな案内板に境内案内図と祀られている仏様と真言、ご利益が書かれているため、困ることもその場で調べることもなくお詣り出来ました。
境内案内図によると、本堂は御本尊 阿弥陀如来 三尊仏。「現当二世(現在世と来世) 安穏ご利益」と書かれていました。
阿弥陀三尊(あみださんぞん)は、仏教における仏像安置形式の一つである。
阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式である。
出典:wikipedia-阿弥陀三尊
大光寺の御本尊の脇侍に関する案内はなかったので憶測でしかりませんが、一般的に阿弥陀如来様の三尊仏と言われると観音菩薩様と勢至菩薩様が脇侍としていらっしゃるようです。
大光寺 薬師堂
本堂と山門の間にある、薬師堂。こちらの方が建物としては古く、いい色合いです。境内案内図によると、こちらには薬師如来 三尊仏が。薬師如来様、日光・月光菩薩様がいらっしゃるようです。「「病気平癒」 特に「耳の病気」と「安産」のご利益」とのこと。耳の病気のご利益があるお薬師様には初めてお会いしました。
大光寺 庚申堂と日限地蔵堂
日限地蔵「日を限って祈願「諸願成就」のご利益」とのこと。
全国にある日限地蔵様の場合、日を限る、とは決まった日にちに参拝することが多いのですが、大光寺の日限地蔵様に関しては、何日なのか書かれて居ませんでした。諸願成就するなら、通い続けたいところです。
大光寺 御朱印
大光寺でいただいた御朱印は、3御本尊の阿弥陀如来様、手接の薬師様のお薬師様、日限地蔵様の種類。寺務所をお訪ねして由緒書きと共に頂いてまいりました。
お庫裡さんから「書き置きに日付を入れるものですが、よろしいですか?」と。すごく控えめで丁寧な印象を受けました。
大光寺の如来様・菩薩様とご縁を頂いた印ですから、書き置きでもいただけることがありがたい、と思います。
あっさりした大光寺ですが、何の知識が無い状態で伺ってもしっかりお願いができる、商店街の賑やかさとは対照的に、静かな親切心が溢れたお寺でした。
知識がなくともお詣りは出来ますが、多少は知っておいた方が、より深くお詣りできる気はします。
大手筋商店街の中にある、大光寺。周辺には坂本龍馬が襲われたことで有名な寺田屋跡や他の寺社もあります。半日ほどブラブラ散策するにはもってこいです。
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