あるようで少ない、南区の見所。
京都の象徴的なイメージのある、世界遺産 東寺にある五重塔。東寺の五重塔は新幹線からも見えるため、多くの人が目にしている事かと思います。そんな東寺のある京都市南区ですが、周辺には住宅や会社などが多く、東寺の周辺を観光…となると、多くを回るのは少し難しいかもしれません。
京都駅と東寺の間には、伏見区にある伏見稲荷大社の御旅所があります。
伏見稲荷大社の御旅所から東寺までは、徒歩3〜5分ほど。近鉄電車に乗ると、伏見稲荷大社の御旅所の横を通過することになります。
東寺
世界遺産東寺。多くの人が訪れていますが、敷地も広いため、混雑していると感じるのは毎月第一日曜日に行われる「がらくた市」や毎月21日の「弘法市(こうぼうさん)」、特別公開や桜の季節くらいでしょうか?
桜の季節の東寺。
秋の夜間拝観。
東寺から徒歩数分で辿り着けるのは、北門から向かうことができる、六孫王神社。こちらは京都駅から西に向かう新幹線からも見ることができる神社。
六孫王神社は桜の名所としても有名です。
平安京のメインストリートの南端
そんな京都市南区の中で地味に存在を主張しているのが、平安京のメインストリートの朱雀大路の南端にあったとされる、羅城門。ここを実際に訪れるまで、羅城門のイメージは死体から服や髪を剝ぎ取るおばあさんがいるところ、でした。
羅城門は現存せず、現在は跡地が小さな公園に整備されています。羅城門がこの地にあったことを示すのは、この石塔と看板、京都市南区唐橋羅城門町というこの公園周辺の地名とバス停の名前くらいです。
ここは京都市を東西に走っている九条通沿いにある、京都市営バス バス停 羅城門。
羅城門跡にいる、お地蔵様
かつて、羅城門を中心に対をなして建てられていた、東寺と西寺。その対立にまつわる逸話が、この羅城門の横に残っています。
日照りに困った淳和天皇が東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏に神泉苑の池で畔雨乞いの祈祷をさせた際、守敏の時には雨が降らなかったが空海が祈祷すると雨が降ったため、守敏が空海を恨み、羅城門付近で空海に向けて矢を放った。
その時、黒衣の僧が現れて空海の身代わりとなり矢を受けて、空海は何を逃れた。
その黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であったため、この身代わり地蔵を屋取りの地蔵と呼び、この地で祀って来た。
出典:京都市設置の写真の駒札 要約:私
この話が本当かどうかはわかりませんが、中京区にある神泉苑の池と東寺の水脈が繋がっているという話は、どこかで聞いたことがあります(本で読んだのかもしれません)。
また、昔のお寺は政治の場でもあった訳で、何かしらの対立があったことは想像に難くない話です。
ですが。
仏に仕える僧が相手に憎さに矢を放つだろうか?という点に関して、私個人としては、疑問に思います。
史実の検証はともあれ、この地が羅城門の跡地であることには変わりはなく。また、羅城門を中心として対を成して東寺と西寺があったことも、間違いありません。
この京都市営バス 羅城門から東寺へも西寺へも、大体同じくらいの距離で行くことが出来ます。羅城門のバス停で降りるのではなく、東寺か西寺跡、どちらかに先に立ち寄り、散策途中に羅城門跡に立ち寄る、という歩き方が良いかもしれません。
東山界隈と違い、次から次へと有名な観光寺院が続く訳ではない東寺周辺ですが、あちこちに歴史が残されています。
歴史や逸話は、京都に限らずどこでも人が住み続けている所には残っているものなのですが、散りばめたかの様にそこかしこに偉人や歴史人の逸話が多く残っているという点で、長い間文化や政治の中心であった京都の歴史の底力を感じるのです。
西寺跡には、お稲荷様がいらっしゃいます。こちらもオススメ。
東寺-西寺の主なルート
上記地図上の一番下のルートを歩けば、東寺-西寺の間で羅城門前を通ります。
東寺は出入り口が複数箇所あるので、どこで出るか?というのは非常に大きなポイントになります、ご注意ください。また、京都は細い道がまだまだ多いので、自動車で走るときは一方通行に気をつけてください。
羅城門前に停まる、京都市営バスは
16 18 特18 78 202 快速202 208 系統
となっています。
京都には●●跡、◎◎邸跡、○○変の地など、小さな石碑がいっぱい。散策中に見かけた石碑は是非見てみてくださいね!
10分の1サイズの羅城門 京都駅に登場!
京都駅の北側のタクシー乗り場の前に、10分の1サイズの羅城門の模型が置かれています。これは隣のメルパルク京都内で展示されて来たものを移設したもの。
これを見ると、当時の羅城門がいかに大きかったか?がわかります。羅城門跡周辺、どの辺りまでが羅城門だったのか?はよくわかりませんが、それでも本当に相当な大きさ。この日も多くの人が写真を撮っていました。
夜にはライトアップされるようです。
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